あの日、
お腹に宿ったあかちゃんを、
殺すという選択をしてから、一年。
ほとんど1年ぶりに、あかちゃんを供養したあのお寺に行ってきた。
数え切れない地蔵尊像は、1年前と同じようにあった。
でも、どれも風雨にさらされて汚れ、
あたしのあかちゃんがどこにいるのか、まったくわからなくなっていた。
あの日と同じようにお線香と蝋燭を供えた。
見える景色も、あの日と変らない。
ただ、あたしはひとりだった。
あたしの、あのあかちゃんのことを覚えているのも、
きっともう、あたしひとり。
Kさんとは、もう会っていない。
関係を絶って、だいぶ経つ。
たぶん、春か、夏になる前のことだったと思う。
あかちゃんのことがあってから、
あたしはKさんと居ても、あまり笑わなくなった。
先のない関係。
たぶん、一瞬、恋人ごっこをするためだけの。
ある日、Kさんがきいた。
「俺といても、楽しくない?」
あたしは、わからない、と答えたと思う。
「ただ、あかちゃんのことがあって、
Kさんとの関係が、まともな恋愛じゃないし、先のあることじゃないし、
互いの一番になれない、っていうものだっていうのを
すごく痛感した気がした」
答え、あたしは泣いた。
Kさんの前で泣いたのは、それが最後。
次に会った時、あたしたちは別れた。
もう、そばにKさんはいない。
「そばにいてくれたら」と思うことも、ない。
むしろ、もう二度とすれ違いさえしないことを願っている。
時が経ち、あたし自身、そしてまわりも、たくさん変化した。
職場も移った。
携帯も変えた。
近いうちに、家も越すつもりでいる。
ひとつひとつ、本当にたくさんのことが変っていった。
でも、やっぱりまちであかちゃんを見て悲しくなるのは変らなくて。
もし、あの時、違う選択をしていれば。
産みたい、と強く強く訴えていたら。
ひとりきりでも、
あかちゃんを産んで育てるという選択をできていたら。
今でも、そう思う。
失ったいのちのことを考えると、
胸がずき、として、涙がこぼれそうになる。
あの時、あたしのお腹でトクトクと一生懸命心臓を動かしていた。
あの感覚。
あの記憶。
あの存在。
あたしは、たぶんこれからも「ごめんなさい」を言い続けると思う。
たとえ中絶が日常茶飯事に行われていることで、
世界から見れば、
山ほどある例のほんのひとつに過ぎなかったとしても。
今年も、あかちゃんの写真を供養することができなくて。
新しく買った手帳のポケットに、その写真を移し変えた。
ずっと持ち歩いているけど、めったに見ることのない、
ちいさないのちの証拠。
あたしだけが、ずっと大事にしていくから。
ずっと、あたしの特別な存在であってください。
そう願う。
お腹に宿ったあかちゃんを、
殺すという選択をしてから、一年。
ほとんど1年ぶりに、あかちゃんを供養したあのお寺に行ってきた。
数え切れない地蔵尊像は、1年前と同じようにあった。
でも、どれも風雨にさらされて汚れ、
あたしのあかちゃんがどこにいるのか、まったくわからなくなっていた。
あの日と同じようにお線香と蝋燭を供えた。
見える景色も、あの日と変らない。
ただ、あたしはひとりだった。
あたしの、あのあかちゃんのことを覚えているのも、
きっともう、あたしひとり。
Kさんとは、もう会っていない。
関係を絶って、だいぶ経つ。
たぶん、春か、夏になる前のことだったと思う。
あかちゃんのことがあってから、
あたしはKさんと居ても、あまり笑わなくなった。
先のない関係。
たぶん、一瞬、恋人ごっこをするためだけの。
ある日、Kさんがきいた。
「俺といても、楽しくない?」
あたしは、わからない、と答えたと思う。
「ただ、あかちゃんのことがあって、
Kさんとの関係が、まともな恋愛じゃないし、先のあることじゃないし、
互いの一番になれない、っていうものだっていうのを
すごく痛感した気がした」
答え、あたしは泣いた。
Kさんの前で泣いたのは、それが最後。
次に会った時、あたしたちは別れた。
もう、そばにKさんはいない。
「そばにいてくれたら」と思うことも、ない。
むしろ、もう二度とすれ違いさえしないことを願っている。
時が経ち、あたし自身、そしてまわりも、たくさん変化した。
職場も移った。
携帯も変えた。
近いうちに、家も越すつもりでいる。
ひとつひとつ、本当にたくさんのことが変っていった。
でも、やっぱりまちであかちゃんを見て悲しくなるのは変らなくて。
もし、あの時、違う選択をしていれば。
産みたい、と強く強く訴えていたら。
ひとりきりでも、
あかちゃんを産んで育てるという選択をできていたら。
今でも、そう思う。
失ったいのちのことを考えると、
胸がずき、として、涙がこぼれそうになる。
あの時、あたしのお腹でトクトクと一生懸命心臓を動かしていた。
あの感覚。
あの記憶。
あの存在。
あたしは、たぶんこれからも「ごめんなさい」を言い続けると思う。
たとえ中絶が日常茶飯事に行われていることで、
世界から見れば、
山ほどある例のほんのひとつに過ぎなかったとしても。
今年も、あかちゃんの写真を供養することができなくて。
新しく買った手帳のポケットに、その写真を移し変えた。
ずっと持ち歩いているけど、めったに見ることのない、
ちいさないのちの証拠。
あたしだけが、ずっと大事にしていくから。
ずっと、あたしの特別な存在であってください。
そう願う。
コメント
オムニアさんの日記を読んで思わず泣いてしまいました。
リンクさせていただきます。よろしくお願いします。
彼とお別れになったんですね。
もう二度とすれ違いさえしないことを願っている
この言葉がズキンときました。
彼がどう思って今を過ごしているか分からないけど、どちらが悪いわけでもなく、これがオムニアさんの選んだ道
どの選択も間違いではないし、オムニアさんの気持次第
誰にも言えない事、吐き出して少しは楽になれていたら良いですね。
久しぶりに日記更新されて、読んでつらくなりつつも、
ほっとしました。
人に言えないことこそ、書くことで、少しでも楽になるといいな・・。
色んな選択があったと思うし、オムニアさんはオムニアさんで選んだだけ。オムニアさんがこれからどう生きるかが大事だと思います。
同じ経験をした友達がいますが、5年経って新しい彼と出会って結婚して、1児のママになって今は、幸せにやっています。忘れないからこそ、今の子どもを一生懸命育てています。
時間が解決してくれると思いますが、未来に向けて、歩けるといいですね。
オムニアさんの日記、全部読みました。
私は明後日中絶手術を受けます。
こんな体験をする女性が一人でも少なくなってくれればいいのに…
今は情けなさと申し訳なさ、こうなった身勝手さから自分も彼も憎いです。
私も一生、この子のことは忘れません。
ずっと愛し続けます。
それで報われるわけじゃないけど、
この子は私の子であることは一生変わらないのです。
赤ちゃんに誇れる自分でいられるよう、お互い頑張りましょう。
私はもう一度この子を迎えたいと思ってます。
本当に辛かったですね…
実は私も16歳の時に"死産"という形の中絶をしました…。
赤ちゃんは5ヶ月過ぎで男の子でした。
妊娠が分かった時には彼氏と別れていたのもあって、親に妊娠した事を言えば反対されると思い、それでも私は産みたかったので5ヶ月間誰にも言わずに過ごしました…
高校は辞めていたので働きながらずっと隠していました。
今思えば私は本当に馬鹿だったと思います…
産みたいけどパパは居ない、私の家は母子家庭で裕福ではないし、私も16歳なので働いてもそこまでお金がない…
これでいっちょ前に「1人で育ててやる」なんて浅はかでした…
限界になり、母に相談して中絶を決めました。
入院して陣痛剤で死んだ赤ちゃんを自力で産みましたが、その赤ちゃんを見た時には本当に後悔しかなかったです。
赤ちゃんをお腹に戻して下さいと医者に泣き叫んでいました…
死産届けも出して火葬に行って水子供養にも行き、今でも毎年行ってます。
今年20歳で成人を迎える私ですが、
今でもあの時の自分が情けなくてしょうがないです…
謝る事しか出来ず、でも、こんなママだけどまた戻って来てね。と願っていました。
そして最近、結婚を考えていた彼との子供をお腹に授かり、彼との気持ちも一致したので、産む予定でした。
ですが、初期の切迫流産を伝えられて、赤ちゃんはもう死んでしまいました。
「もともとこの赤ちゃんは、ここまでしか生きれない運命だった」と医者に言われましたが、
これはあの時の私への罰だと思い、毎日母子手帳や写真を見て泣いていました。
16歳とはいえ、命をあんな浅はかな考えで済ませてしまって、
20歳になった今、赤ちゃんを産みたい時に自殺されてしまった…
とても悔しいような悲しいような、たくさんの思いがありました。
主さんも、これからもずっと辛かったり悩んだりすると思います…。
私も今この文章を書いてる間にも涙が止まりませんが、後悔をしているからこそ、次は命を大切に大切に出来るのかと思います。
お互いに、将来良い母親になれるように頑張りましょう。
主さんが幸せになれますように。