産まれることのできなかった子たち
2007年3月8日 恋愛 コメント (4)
きちんと供養をしてもらおう。
そう言い出したのは、
Kさんのほうだった。
水子供養のお寺も、
Kさんが調べてくれていた。
それは大きくて有名なお寺で、
実際に供養や参拝するだけではない、
観光客も大勢居た。
供養の申し込みをした。
お寺の方が、事務的に説明してくれた。
供養のために、地蔵尊像をたてること。
毎日、あかちゃんのためにお経を読んでもらえること。
地蔵尊像は、寺とあかちゃんの縁を結ぶためのもので、
あかちゃんの分身ではない。
だから、姿を探したり、
帽子や服を着せたりしてはいけないということ。
淡々としていた。
あたしは、エコー写真も一緒に供養しようと思っていたけれど、
申し出ることができなかった。
「では、母親にあたる方の名前をご記帳ください」
『母親』という言葉を聞いたとき、ちょっとどきりとした。
そうか。あたしはお母さんだったんだ。
改めて思った。
張りのひいたはずの胸が、またズキとした。
名前のなかったあかちゃんの代わりに、
地蔵尊像の背中には、志主として、あたしの名前が書かれた。
供養の読経は、翌日行われるとのことだった。
地蔵尊像も、そのときに祀られる。
「読経してもらってから、お参りに来たほうが良いね」
Kさんは言った。
「今度の日曜日、またお参りに来よう」
「うん・・・・・・」
手術も、供養も。
すべては淡々と、決まりきった流れに沿って進んでいく。
あかちゃんが宿り、死んでいったことは、
所詮、周囲にとってはひとつの出来事でしかないのだな、
そう改めて感じさせられた。
「オムニア、どうした?」
Kさんにきかれた。
あたしは黙りこくって、不機嫌な顔をしていたらしい。
「なんでもない……」
当たり前。
そう思う一方で、あたしはとても複雑な気分だった。
あたしのあかちゃんは、間違いなく、あたしのおなかで生きてた。
たった9週間だけだったけれど。
特別だった。
あたしにとっては。
親が自分の子供を想う気持ちは、たぶんこういう感じなのだろう。
水子地蔵がまつられる場所に行った。
地蔵尊像は、寺の一角に何百体もびっしりと並べられてた。
産まれることのできなかった子が、こんなにもいるんだな。
そう思った。
「かわいそう……」
思わず、口から漏れた。
たくさんのあかちゃんと、あたしのあかちゃんに対する言葉だった。
「そうだね」
Kさんが言った。
そう言い出したのは、
Kさんのほうだった。
水子供養のお寺も、
Kさんが調べてくれていた。
それは大きくて有名なお寺で、
実際に供養や参拝するだけではない、
観光客も大勢居た。
供養の申し込みをした。
お寺の方が、事務的に説明してくれた。
供養のために、地蔵尊像をたてること。
毎日、あかちゃんのためにお経を読んでもらえること。
地蔵尊像は、寺とあかちゃんの縁を結ぶためのもので、
あかちゃんの分身ではない。
だから、姿を探したり、
帽子や服を着せたりしてはいけないということ。
淡々としていた。
あたしは、エコー写真も一緒に供養しようと思っていたけれど、
申し出ることができなかった。
「では、母親にあたる方の名前をご記帳ください」
『母親』という言葉を聞いたとき、ちょっとどきりとした。
そうか。あたしはお母さんだったんだ。
改めて思った。
張りのひいたはずの胸が、またズキとした。
名前のなかったあかちゃんの代わりに、
地蔵尊像の背中には、志主として、あたしの名前が書かれた。
供養の読経は、翌日行われるとのことだった。
地蔵尊像も、そのときに祀られる。
「読経してもらってから、お参りに来たほうが良いね」
Kさんは言った。
「今度の日曜日、またお参りに来よう」
「うん・・・・・・」
手術も、供養も。
すべては淡々と、決まりきった流れに沿って進んでいく。
あかちゃんが宿り、死んでいったことは、
所詮、周囲にとってはひとつの出来事でしかないのだな、
そう改めて感じさせられた。
「オムニア、どうした?」
Kさんにきかれた。
あたしは黙りこくって、不機嫌な顔をしていたらしい。
「なんでもない……」
当たり前。
そう思う一方で、あたしはとても複雑な気分だった。
あたしのあかちゃんは、間違いなく、あたしのおなかで生きてた。
たった9週間だけだったけれど。
特別だった。
あたしにとっては。
親が自分の子供を想う気持ちは、たぶんこういう感じなのだろう。
水子地蔵がまつられる場所に行った。
地蔵尊像は、寺の一角に何百体もびっしりと並べられてた。
産まれることのできなかった子が、こんなにもいるんだな。
そう思った。
「かわいそう……」
思わず、口から漏れた。
たくさんのあかちゃんと、あたしのあかちゃんに対する言葉だった。
「そうだね」
Kさんが言った。
コメント
さて、きちんと供養なさるなんてご立派ですね。
うちも胎児になる前の胎芽(9週未満)で自然流産してしまったことがあります。供養しなかったのですが、そのせいか、今でも妻は尾を引いているようです。やっぱりけじめをつけて供養すべきだったのかな・・・。
意外ですが妊娠した人の1割は流産しているそうです。結構多いですよね。でも多くの人はその悲しみを乗り越えて逞しく生きているんでしょうね。
一番の供養はオムニアさんが忘れないでいることです。
どんなにお金かけて供養しても
こころがこもってなかったら同じなのです。
姿がみえないからこそ こころで話しかけてあげてね。
オムニアさんにとって赤ちゃんは通り過ぎた出来事で
なくて 必然的にオムニアさんを選んで生まれてこようと
したと考えたら オムニアさんにとっては人生で
大変素敵なことだったと思いませんか?
たしかに産んであげれなかったけど 自分が選らばれた
ことを誇りに思ってこれからも生きてくださいね。
私も今は病気が苦しくてたまらないけど
命をつないでいるのは その子に会いたいからなの。
一緒に未来を選んで生きましょうね。
あんにばるさんも悲しい体験をされたんですね。
1割という数字は、本当に多く感じます。
お寺で数百の水子地蔵を見た時、それだけで多いと思いましたが、
全国では、もっともっとたくさんのあかちゃんや親が
悲しい体験をしているのですね。
私はまだ実際に子育てをしたことがないけれど、
悲しい体験を乗り越えた人は、つぎに生まれてきた子を
本当にかわいく、大切だと思えるのではないかと思います。
**yuyuさん**
優しい言葉をありがとうございます。
ほんの9週間でも、あたしを「お母さん」にしてくれた
あかちゃんのことは、ずっと大事にしていきたいと思っています。
お腹のあかちゃんを「かわいい」「まもりたい」って思う気持ち。
それを感じさせてくれたあかちゃんには、
ごめんなさいのほかにも、ありがとうと言いたい。
yuyuさんが辛い思いをされているのも、日記から伝わってきます。
それでも、優しい言葉をかけていただいて、
本当に優しい方なんだなと思います。
あかちゃんが宿ってくれたことを誇りに思えるよう、
少しずつ、気持ちを変えていければ、と思います。
あと、yuyuさんの仰る通りだとボクも思います。
偶然ではなく、必然的な縁があったのだと思います。
オムニアさんを愛して選んでくれた、優しい赤ちゃんだったのでしょう、きっと。