あかちゃんの姿

2007年1月31日 恋愛
病院から帰ると、
どっと疲れがおそってきた。
つわりのせいで電車にも酔っていて、
ひどく気持ちが悪かった。

「すこし寝たら?」Kさんが言った。
 
 
でも、あたしは手帳に挟んでおいた、中絶同意書をとりだして、テーブルに置いた。

「書いてください」

Kさんは黙って、同意書に住所と名前を書いた。
あたしの家の住所を書くのかと思ったけれど、
正直に自分の家の住所を書いてた。

「印鑑は、土曜日に持ってくるよ」

あたしはその場で名前を書き、はんこを押した。
 
署名することには、何の抵抗もなかった。
ためらいや重みを感じるには、
紙はあまりにも薄っぺらで、ちゃちだった。
 
 
 
Kさんは、疲れて横になったあたしのお腹、
おへその上あたりに手をあててた。

「あかちゃんが居るの、この辺だと思うよ」

あたしは、Kさんの手を、自分の下腹部にあてた。
 
 
「居るの、わかる?」Kさんがきいた。

「うん・・・・・・なんか、お腹が張ってる感じがする。
 何か、重たいものが入ってるな、っていう感じがする」

Kさんは、あたしのお腹を見つめてた。
 
「・・・・・・男のひとって、『妊娠したよ』って言われて、
 すぐ実感が湧くものなんですか?」
あたしはきいた。

「あたしは、自分のなかに赤ちゃんがいても、
 お医者さんに写真を見せられるまで、
 実感なんか湧かなかったよ」
 
 
「実感は、湧いたよ」Kさんは言う。
「今年の初め、オムニアが『気持ち悪い』って言ったとき、
 『あかちゃんができたんじゃないの』って言ったよね。
 あれは、本気で言ってたんだよ。
 理由はわからないけど、本当にそんな気がしてた」
 
 
「あかちゃんができた、って言ったとき・・・・・・どう思った?」

怖いけれど、どうしてもききたかった。
「イヤだった・・・・・・?」
 
 
「嫌じゃないよ」Kさんはすぐに言った。

「好きな人に子供ができたら、嬉しいよ」
 
 
あたしは、枕に顔をうずめた。「あたしは・・・・・・」

「あたしは、ちっとも嬉しくなかったよ」

「ただ、こわくて仕方なかった。
 どうしようどうしよう、って思ったよ・・・・・・」
 
 
 
こわいから。不安だから。

Kさんの気持ちを聞きたい。
でも、どんな言葉を返されても、信じることはできなかった。

それでも、あたしは、Kさんの気持ちをしりたくて仕方なかった。
 
 
もしかしたら、「嫌だった」と言われたかったのかもしれない。
 
 
Kさんは、また「ごめん」を言った。
悲しませて、本当に申し訳ないと。
 
 
 
「オムニアも、本当は中絶なんてしたくなかったんでしょ?」

また、涙があふれてきた。

「わかんない・・・・・・」
 
 
産みたい、のかどうか。
正直言って、わからない。
 
Kさんとあたしの子供。
想像がつかない。
その子をだっこしてるイメージも全然湧かない。
 
 
でも、 
中絶が、悲しくて悲しくて仕方ないのは確かで。

「中絶なんて、したくないよ」

ただ、Kさんの前でそう言ってはいけないような気がして、言えなかった。
  
  
  
その日、あたしははじめてKさんにあかちゃんの写真を見せた。

「ここに居るのが、あかちゃんなんだね」

それ以外の言葉はなかった。
ただ、Kさんはとても長い時間、写真を見つめてた。
 
 
 
帰り際。
Kさんはあたしにキスをしようとした。
あたしは、顔をそむけ、いやいやをして拒んだ。

やはり求めてられるのは、そういう行為なんだろうかと思えて、
一瞬、ひどく悲しくなった。
 
 
「もう、不安なことはない?」
Kさんがきいた。
 
 
不安ばっかりだよ。

あたしは思った。

あかちゃんのことも、手術のことも、Kさんの気持ちも。
これからのこと、全部全部、こわいし不安だよ。
 
 
「大丈夫・・・・・・」

言いたい言葉を全部飲み込んだ。

代わりに、ぎゅうと抱きついた。

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