あの日、
お腹に宿ったあかちゃんを、
殺すという選択をしてから、一年。
ほとんど1年ぶりに、あかちゃんを供養したあのお寺に行ってきた。
数え切れない地蔵尊像は、1年前と同じようにあった。
でも、どれも風雨にさらされて汚れ、
あたしのあかちゃんがどこにいるのか、まったくわからなくなっていた。
あの日と同じようにお線香と蝋燭を供えた。
見える景色も、あの日と変らない。
ただ、あたしはひとりだった。
あたしの、あのあかちゃんのことを覚えているのも、
きっともう、あたしひとり。
Kさんとは、もう会っていない。
関係を絶って、だいぶ経つ。
たぶん、春か、夏になる前のことだったと思う。
あかちゃんのことがあってから、
あたしはKさんと居ても、あまり笑わなくなった。
先のない関係。
たぶん、一瞬、恋人ごっこをするためだけの。
ある日、Kさんがきいた。
「俺といても、楽しくない?」
あたしは、わからない、と答えたと思う。
「ただ、あかちゃんのことがあって、
Kさんとの関係が、まともな恋愛じゃないし、先のあることじゃないし、
互いの一番になれない、っていうものだっていうのを
すごく痛感した気がした」
答え、あたしは泣いた。
Kさんの前で泣いたのは、それが最後。
次に会った時、あたしたちは別れた。
もう、そばにKさんはいない。
「そばにいてくれたら」と思うことも、ない。
むしろ、もう二度とすれ違いさえしないことを願っている。
時が経ち、あたし自身、そしてまわりも、たくさん変化した。
職場も移った。
携帯も変えた。
近いうちに、家も越すつもりでいる。
ひとつひとつ、本当にたくさんのことが変っていった。
でも、やっぱりまちであかちゃんを見て悲しくなるのは変らなくて。
もし、あの時、違う選択をしていれば。
産みたい、と強く強く訴えていたら。
ひとりきりでも、
あかちゃんを産んで育てるという選択をできていたら。
今でも、そう思う。
失ったいのちのことを考えると、
胸がずき、として、涙がこぼれそうになる。
あの時、あたしのお腹でトクトクと一生懸命心臓を動かしていた。
あの感覚。
あの記憶。
あの存在。
あたしは、たぶんこれからも「ごめんなさい」を言い続けると思う。
たとえ中絶が日常茶飯事に行われていることで、
世界から見れば、
山ほどある例のほんのひとつに過ぎなかったとしても。
今年も、あかちゃんの写真を供養することができなくて。
新しく買った手帳のポケットに、その写真を移し変えた。
ずっと持ち歩いているけど、めったに見ることのない、
ちいさないのちの証拠。
あたしだけが、ずっと大事にしていくから。
ずっと、あたしの特別な存在であってください。
そう願う。
お腹に宿ったあかちゃんを、
殺すという選択をしてから、一年。
ほとんど1年ぶりに、あかちゃんを供養したあのお寺に行ってきた。
数え切れない地蔵尊像は、1年前と同じようにあった。
でも、どれも風雨にさらされて汚れ、
あたしのあかちゃんがどこにいるのか、まったくわからなくなっていた。
あの日と同じようにお線香と蝋燭を供えた。
見える景色も、あの日と変らない。
ただ、あたしはひとりだった。
あたしの、あのあかちゃんのことを覚えているのも、
きっともう、あたしひとり。
Kさんとは、もう会っていない。
関係を絶って、だいぶ経つ。
たぶん、春か、夏になる前のことだったと思う。
あかちゃんのことがあってから、
あたしはKさんと居ても、あまり笑わなくなった。
先のない関係。
たぶん、一瞬、恋人ごっこをするためだけの。
ある日、Kさんがきいた。
「俺といても、楽しくない?」
あたしは、わからない、と答えたと思う。
「ただ、あかちゃんのことがあって、
Kさんとの関係が、まともな恋愛じゃないし、先のあることじゃないし、
互いの一番になれない、っていうものだっていうのを
すごく痛感した気がした」
答え、あたしは泣いた。
Kさんの前で泣いたのは、それが最後。
次に会った時、あたしたちは別れた。
もう、そばにKさんはいない。
「そばにいてくれたら」と思うことも、ない。
むしろ、もう二度とすれ違いさえしないことを願っている。
時が経ち、あたし自身、そしてまわりも、たくさん変化した。
職場も移った。
携帯も変えた。
近いうちに、家も越すつもりでいる。
ひとつひとつ、本当にたくさんのことが変っていった。
でも、やっぱりまちであかちゃんを見て悲しくなるのは変らなくて。
もし、あの時、違う選択をしていれば。
産みたい、と強く強く訴えていたら。
ひとりきりでも、
あかちゃんを産んで育てるという選択をできていたら。
今でも、そう思う。
失ったいのちのことを考えると、
胸がずき、として、涙がこぼれそうになる。
あの時、あたしのお腹でトクトクと一生懸命心臓を動かしていた。
あの感覚。
あの記憶。
あの存在。
あたしは、たぶんこれからも「ごめんなさい」を言い続けると思う。
たとえ中絶が日常茶飯事に行われていることで、
世界から見れば、
山ほどある例のほんのひとつに過ぎなかったとしても。
今年も、あかちゃんの写真を供養することができなくて。
新しく買った手帳のポケットに、その写真を移し変えた。
ずっと持ち歩いているけど、めったに見ることのない、
ちいさないのちの証拠。
あたしだけが、ずっと大事にしていくから。
ずっと、あたしの特別な存在であってください。
そう願う。
いずれ、あたしはKさんと別れるだろう。
早いほうが良いのだろうということもわかってる。
心地よさに甘えていては
いけないんだと思う。
本当なら、
いのちをひとつ、殺してしまう前に、
そうするべきだったんだと思う。
あたしは、Kさんのことが好きだ。
『イチバン』になれないのもわかっているのに、
それでも、理屈と違う部分で、好きになってしまった。
だから、一緒に居たいし、
もっと好きと言ってほしいし、抱きしめてほしい。
だけど、今回の出来事で、
『スキだから一緒にいる』
という理屈だけでは通用しない関係だという事を、改めて知った。
これから、あたしがKさんに対して、
あるいは、Kさんがあたしに対して、
どういう接し方をするのか、
どういう行動をとっていくのか、
まったくわからない。
ただ、『イママデドオリ』ではないだろうと思う。
手術を終え、1ヶ月半が経った。
身体はあかちゃんができる前の状態に戻りつつある。
術後の最初の生理では、排卵が止まっていた。
今後どうなるか分からないが、
きちんと排卵がおこり、身体のリズムが元に戻れば、
すべてが『もとどおり』だとされてしまうのだろう。
何もかもが、『なかったこと』にされてしまいそうなくらい、
以前と同じ生活を取り戻している。
表向きは。
だけど、あかちゃんを殺してしまったのは、消えることのない事実で。
お医者さまや、Kさん、誰もが忘れてしまったとしても、
あたしは絶対に忘れない。
あかちゃんがいた時のお腹の張りも、
つわりの気持ち悪さも。
いなくなってしまった時の、ふっと軽くなったような感覚も。
痛みも、全部。
この先、もし誰かと幸せな結婚をして、幸せな妊娠をすることができたとしても、
2007年1月20日に失ったあかちゃんのことを思い出すと思う。
そしてまた、悲しくて泣いてしまうかもしれない。
そう思う。
1.3cmのあかちゃん。
はじめてその姿をみることができた、一枚のエコー写真。
あたしは、それをずっと持ち歩いてる。
いずれ写真はボロボロになって、薄れて消えてしまうかもしれない。
でも、それでも手放したくないと思う。
あたしの中に、あかちゃんがいたっていう、唯一の証拠。
キミがいなくなったとき、どのくらいの大きさになっていたんだろう。
1.5cmくらいには、なっていのだろうか。
それとも、もっと大きくなっていたんだろうか。
きっとキミは、もっともっと大きくなりたかったんだよね。
ごめんなさい。
本当に、ごめんなさい。
もし許されたなら、
産まれて来たキミを、
ぎゅ、って抱っこしたかったよ。
早いほうが良いのだろうということもわかってる。
心地よさに甘えていては
いけないんだと思う。
本当なら、
いのちをひとつ、殺してしまう前に、
そうするべきだったんだと思う。
あたしは、Kさんのことが好きだ。
『イチバン』になれないのもわかっているのに、
それでも、理屈と違う部分で、好きになってしまった。
だから、一緒に居たいし、
もっと好きと言ってほしいし、抱きしめてほしい。
だけど、今回の出来事で、
『スキだから一緒にいる』
という理屈だけでは通用しない関係だという事を、改めて知った。
これから、あたしがKさんに対して、
あるいは、Kさんがあたしに対して、
どういう接し方をするのか、
どういう行動をとっていくのか、
まったくわからない。
ただ、『イママデドオリ』ではないだろうと思う。
手術を終え、1ヶ月半が経った。
身体はあかちゃんができる前の状態に戻りつつある。
術後の最初の生理では、排卵が止まっていた。
今後どうなるか分からないが、
きちんと排卵がおこり、身体のリズムが元に戻れば、
すべてが『もとどおり』だとされてしまうのだろう。
何もかもが、『なかったこと』にされてしまいそうなくらい、
以前と同じ生活を取り戻している。
表向きは。
だけど、あかちゃんを殺してしまったのは、消えることのない事実で。
お医者さまや、Kさん、誰もが忘れてしまったとしても、
あたしは絶対に忘れない。
あかちゃんがいた時のお腹の張りも、
つわりの気持ち悪さも。
いなくなってしまった時の、ふっと軽くなったような感覚も。
痛みも、全部。
この先、もし誰かと幸せな結婚をして、幸せな妊娠をすることができたとしても、
2007年1月20日に失ったあかちゃんのことを思い出すと思う。
そしてまた、悲しくて泣いてしまうかもしれない。
そう思う。
1.3cmのあかちゃん。
はじめてその姿をみることができた、一枚のエコー写真。
あたしは、それをずっと持ち歩いてる。
いずれ写真はボロボロになって、薄れて消えてしまうかもしれない。
でも、それでも手放したくないと思う。
あたしの中に、あかちゃんがいたっていう、唯一の証拠。
キミがいなくなったとき、どのくらいの大きさになっていたんだろう。
1.5cmくらいには、なっていのだろうか。
それとも、もっと大きくなっていたんだろうか。
きっとキミは、もっともっと大きくなりたかったんだよね。
ごめんなさい。
本当に、ごめんなさい。
もし許されたなら、
産まれて来たキミを、
ぎゅ、って抱っこしたかったよ。
供養から一週間後。
約束どおり、お参りにきた。
観光地の一角にある寺は、
やっぱり観光客でいっぱいだった。
寺の中の、水子地蔵の並ぶ一角。
蝋燭と、お線香を供えた。
何百と並ぶ地蔵尊像のなかに、
数十体、真新しい色の地蔵尊像が並ぶ一角があった。
あたしのあかちゃんも、ここにいるんだ。
そう思った。
水子地蔵の一角も、やはり観光客がたくさんいた。
ずら、と並んだ地蔵尊像を写真に撮っている人がいっぱいいた。
真新しい地蔵尊像のいっかくも。
写真なんか撮らないでよ。
そう思った。
見せものじゃない。
そっとしておいて。
あたしはまた泣きそうになった。
鼻をぐしゅぐしゅいわせながら、ぐっと我慢した。
ひきずりすぎだろうか。
めそめそしすぎ?
手術をして、2週間が経っていた。
それなのに、全然なみだはとまらない。
あかちゃんのことを考えるだけで、
思い出すだけで、ぼろぼろ泣いてしまう。
周りの妊娠とか、まちでであう赤ちゃんとか、
おもいだすきっかけは、腐るほどあるのに。
その日、あたしはKさんとセックスした。
あたしは拒んだが、最終的には受け入れた。
いのちをひとつ殺したのに、何の反省もない。
ばかだと思う。
建前の奥の、Kさんの本音を見た気がした。
セックスをしながら、
あたしはこのまま身体が壊れてくれれば良いと思った。
でも、身体は、都合よく壊れてはくれない。
耐えるしかない。
全部全部、我慢するしかない。
そして、またいっぱい泣いた。
約束どおり、お参りにきた。
観光地の一角にある寺は、
やっぱり観光客でいっぱいだった。
寺の中の、水子地蔵の並ぶ一角。
蝋燭と、お線香を供えた。
何百と並ぶ地蔵尊像のなかに、
数十体、真新しい色の地蔵尊像が並ぶ一角があった。
あたしのあかちゃんも、ここにいるんだ。
そう思った。
水子地蔵の一角も、やはり観光客がたくさんいた。
ずら、と並んだ地蔵尊像を写真に撮っている人がいっぱいいた。
真新しい地蔵尊像のいっかくも。
写真なんか撮らないでよ。
そう思った。
見せものじゃない。
そっとしておいて。
あたしはまた泣きそうになった。
鼻をぐしゅぐしゅいわせながら、ぐっと我慢した。
ひきずりすぎだろうか。
めそめそしすぎ?
手術をして、2週間が経っていた。
それなのに、全然なみだはとまらない。
あかちゃんのことを考えるだけで、
思い出すだけで、ぼろぼろ泣いてしまう。
周りの妊娠とか、まちでであう赤ちゃんとか、
おもいだすきっかけは、腐るほどあるのに。
その日、あたしはKさんとセックスした。
あたしは拒んだが、最終的には受け入れた。
いのちをひとつ殺したのに、何の反省もない。
ばかだと思う。
建前の奥の、Kさんの本音を見た気がした。
セックスをしながら、
あたしはこのまま身体が壊れてくれれば良いと思った。
でも、身体は、都合よく壊れてはくれない。
耐えるしかない。
全部全部、我慢するしかない。
そして、またいっぱい泣いた。
産まれることのできなかった子たち
2007年3月8日 恋愛 コメント (4)
きちんと供養をしてもらおう。
そう言い出したのは、
Kさんのほうだった。
水子供養のお寺も、
Kさんが調べてくれていた。
それは大きくて有名なお寺で、
実際に供養や参拝するだけではない、
観光客も大勢居た。
供養の申し込みをした。
お寺の方が、事務的に説明してくれた。
供養のために、地蔵尊像をたてること。
毎日、あかちゃんのためにお経を読んでもらえること。
地蔵尊像は、寺とあかちゃんの縁を結ぶためのもので、
あかちゃんの分身ではない。
だから、姿を探したり、
帽子や服を着せたりしてはいけないということ。
淡々としていた。
あたしは、エコー写真も一緒に供養しようと思っていたけれど、
申し出ることができなかった。
「では、母親にあたる方の名前をご記帳ください」
『母親』という言葉を聞いたとき、ちょっとどきりとした。
そうか。あたしはお母さんだったんだ。
改めて思った。
張りのひいたはずの胸が、またズキとした。
名前のなかったあかちゃんの代わりに、
地蔵尊像の背中には、志主として、あたしの名前が書かれた。
供養の読経は、翌日行われるとのことだった。
地蔵尊像も、そのときに祀られる。
「読経してもらってから、お参りに来たほうが良いね」
Kさんは言った。
「今度の日曜日、またお参りに来よう」
「うん・・・・・・」
手術も、供養も。
すべては淡々と、決まりきった流れに沿って進んでいく。
あかちゃんが宿り、死んでいったことは、
所詮、周囲にとってはひとつの出来事でしかないのだな、
そう改めて感じさせられた。
「オムニア、どうした?」
Kさんにきかれた。
あたしは黙りこくって、不機嫌な顔をしていたらしい。
「なんでもない……」
当たり前。
そう思う一方で、あたしはとても複雑な気分だった。
あたしのあかちゃんは、間違いなく、あたしのおなかで生きてた。
たった9週間だけだったけれど。
特別だった。
あたしにとっては。
親が自分の子供を想う気持ちは、たぶんこういう感じなのだろう。
水子地蔵がまつられる場所に行った。
地蔵尊像は、寺の一角に何百体もびっしりと並べられてた。
産まれることのできなかった子が、こんなにもいるんだな。
そう思った。
「かわいそう……」
思わず、口から漏れた。
たくさんのあかちゃんと、あたしのあかちゃんに対する言葉だった。
「そうだね」
Kさんが言った。
そう言い出したのは、
Kさんのほうだった。
水子供養のお寺も、
Kさんが調べてくれていた。
それは大きくて有名なお寺で、
実際に供養や参拝するだけではない、
観光客も大勢居た。
供養の申し込みをした。
お寺の方が、事務的に説明してくれた。
供養のために、地蔵尊像をたてること。
毎日、あかちゃんのためにお経を読んでもらえること。
地蔵尊像は、寺とあかちゃんの縁を結ぶためのもので、
あかちゃんの分身ではない。
だから、姿を探したり、
帽子や服を着せたりしてはいけないということ。
淡々としていた。
あたしは、エコー写真も一緒に供養しようと思っていたけれど、
申し出ることができなかった。
「では、母親にあたる方の名前をご記帳ください」
『母親』という言葉を聞いたとき、ちょっとどきりとした。
そうか。あたしはお母さんだったんだ。
改めて思った。
張りのひいたはずの胸が、またズキとした。
名前のなかったあかちゃんの代わりに、
地蔵尊像の背中には、志主として、あたしの名前が書かれた。
供養の読経は、翌日行われるとのことだった。
地蔵尊像も、そのときに祀られる。
「読経してもらってから、お参りに来たほうが良いね」
Kさんは言った。
「今度の日曜日、またお参りに来よう」
「うん・・・・・・」
手術も、供養も。
すべては淡々と、決まりきった流れに沿って進んでいく。
あかちゃんが宿り、死んでいったことは、
所詮、周囲にとってはひとつの出来事でしかないのだな、
そう改めて感じさせられた。
「オムニア、どうした?」
Kさんにきかれた。
あたしは黙りこくって、不機嫌な顔をしていたらしい。
「なんでもない……」
当たり前。
そう思う一方で、あたしはとても複雑な気分だった。
あたしのあかちゃんは、間違いなく、あたしのおなかで生きてた。
たった9週間だけだったけれど。
特別だった。
あたしにとっては。
親が自分の子供を想う気持ちは、たぶんこういう感じなのだろう。
水子地蔵がまつられる場所に行った。
地蔵尊像は、寺の一角に何百体もびっしりと並べられてた。
産まれることのできなかった子が、こんなにもいるんだな。
そう思った。
「かわいそう……」
思わず、口から漏れた。
たくさんのあかちゃんと、あたしのあかちゃんに対する言葉だった。
「そうだね」
Kさんが言った。
あかちゃんがいた、という事実
2007年3月3日 恋愛 コメント (2)
病院で、出血と腹痛のことを言った。
「お腹が痛ければ出血する。
出血すればお腹が痛い。
まあ、仕方ないな」
さらり、とお医者様は言った。
「胸の張りはもうひいた?」
「はい」
「つわりは?」
「もうありません」
「じゃあ、ちょっと診てみようか」
そういって、診察台にあがった。
「うーん、思ったより出血してるな」
お医者様が言った。
「ちょっと出血しすぎかもしれないな。お酒とか飲んでない?」
「飲んでません」
「仕事は立ち仕事?」
「違います」
「じゃあ、ちょっと動きすぎだな。
もう一週間くらいは安静にしてなさい。
あと3日分、止血剤を追加しておくから。
これでほとんど出血はなくなると思うよ」
次に、お医者様は子宮をみてみよう、と言って、エコー検査をした。
映った画面をあたしに見せてくれた。
「これが子宮」
黒い画面の中の、少しだけ色が薄くなった丸いような三角のような部分を指した。
「子宮自体は綺麗になってきているよ。
残留物もないし。順調だと言っていい」
知識のないあたしにも、
たぶんきれいになってるんだろう、と思えるくらい、
はっきりと子宮のかたちがわかった。
2週間前、同じようにエコー検査をしたときは、
ここにあかちゃんが入ってたんだな、そう思った。
まだ人のかたちもしてなくて。
豆みたいないびつな楕円形をしたあかちゃんを見て、
あたしはショックを受けたんだった。
ほんの一瞬も喜んであげることができず、
ただ「どうしよう」と混乱したんだった。
でも、今はもう何もない。
喪失感なのだろうか。あたしはふと寂しくなった。
もう、何もいない。
あかちゃんのかけらすら。
そして、居たという事実も、周りの記憶からは消えていってしまう。
車で待っていたKさんのもとに戻った。
「だいじょうぶだった?」
「うん。出血が多いから、もう少し安静にしてなさいとは言われたけど。
でも、順調に治ってるみたい」
「そう。落ち着くまで、まだかかるんだね」
「だって、まだ一週間だもん……」
ほんの一週間前までは、おなかにあかちゃんがいたんだもん。
でも、思った以上に早く、
手術のこともあかちゃんのことも忘れされられてしまうのだろう。
そう思えた。
生活は、あまりにもあっさりと以前と同じものに戻っていった。
あたしがKさんの前で泣くこともあまりなくなり、
あかちゃんの話も、もうほとんどすることはない。
事実を間接的に聞くだけのKさんにとっては、
まったく記憶から消えてしまうことはなかったとしても、
たんなるひとつの事実でしかなくなってしまうかもしれない。
他のいろんな出来事と同じように、
「ああ、こんなこともあったな」
っていうだけの事実になってしまうかもしれない。
そう思うと、こわかった。
「お腹が痛ければ出血する。
出血すればお腹が痛い。
まあ、仕方ないな」
さらり、とお医者様は言った。
「胸の張りはもうひいた?」
「はい」
「つわりは?」
「もうありません」
「じゃあ、ちょっと診てみようか」
そういって、診察台にあがった。
「うーん、思ったより出血してるな」
お医者様が言った。
「ちょっと出血しすぎかもしれないな。お酒とか飲んでない?」
「飲んでません」
「仕事は立ち仕事?」
「違います」
「じゃあ、ちょっと動きすぎだな。
もう一週間くらいは安静にしてなさい。
あと3日分、止血剤を追加しておくから。
これでほとんど出血はなくなると思うよ」
次に、お医者様は子宮をみてみよう、と言って、エコー検査をした。
映った画面をあたしに見せてくれた。
「これが子宮」
黒い画面の中の、少しだけ色が薄くなった丸いような三角のような部分を指した。
「子宮自体は綺麗になってきているよ。
残留物もないし。順調だと言っていい」
知識のないあたしにも、
たぶんきれいになってるんだろう、と思えるくらい、
はっきりと子宮のかたちがわかった。
2週間前、同じようにエコー検査をしたときは、
ここにあかちゃんが入ってたんだな、そう思った。
まだ人のかたちもしてなくて。
豆みたいないびつな楕円形をしたあかちゃんを見て、
あたしはショックを受けたんだった。
ほんの一瞬も喜んであげることができず、
ただ「どうしよう」と混乱したんだった。
でも、今はもう何もない。
喪失感なのだろうか。あたしはふと寂しくなった。
もう、何もいない。
あかちゃんのかけらすら。
そして、居たという事実も、周りの記憶からは消えていってしまう。
車で待っていたKさんのもとに戻った。
「だいじょうぶだった?」
「うん。出血が多いから、もう少し安静にしてなさいとは言われたけど。
でも、順調に治ってるみたい」
「そう。落ち着くまで、まだかかるんだね」
「だって、まだ一週間だもん……」
ほんの一週間前までは、おなかにあかちゃんがいたんだもん。
でも、思った以上に早く、
手術のこともあかちゃんのことも忘れされられてしまうのだろう。
そう思えた。
生活は、あまりにもあっさりと以前と同じものに戻っていった。
あたしがKさんの前で泣くこともあまりなくなり、
あかちゃんの話も、もうほとんどすることはない。
事実を間接的に聞くだけのKさんにとっては、
まったく記憶から消えてしまうことはなかったとしても、
たんなるひとつの事実でしかなくなってしまうかもしれない。
他のいろんな出来事と同じように、
「ああ、こんなこともあったな」
っていうだけの事実になってしまうかもしれない。
そう思うと、こわかった。
何もなかったみたいに
2007年3月2日 恋愛
土曜日に手術をして、月曜日には、
何事もなかったかのように仕事をした。
妊娠する前、
あかちゃんがお腹にいるとき、
いなくなった後。
外見は、何一つ変わっていない。
ひとついのちが宿り、
人知れず死んでいったことなど、
誰も知らない。
気づかない。
職場では、今まで通り、話したり、笑ったりしてなきゃいけない。
でも、会社の友達と何を話してたって楽しくなんかなかったし、
笑っても、たぶん目は笑ってなくて、
空っぽの笑いにしかなっていない。自分でそう感じた。
ただ、身体だけは回復に向かっていて、
手術の翌々日には、出血も目に見えて減った。
下腹部痛もほとんどなくなった。
予想していたより、ずっと回復は早かった。
『激しい運動とか、長時間のたち仕事なんかをすると出血が増えるから、
決して無理はしないこと』
そう言われていた。
でも、あたしは、無理やり動いて、走って、無理して。
それで身体がぶっ壊れてくれるなら、
いっそそうしてしまいたいと、そう思っていた。
実際に無茶をしたわけではなかったが、
木曜日、あたしは生理痛みたいな腰痛と下腹部痛に襲われた。
そしてその翌日には、急に出血が増えた。
でも、不安も心配もしなかった。
あかちゃんのいない自分の身体に、たいした関心は持てなかった。
そして手術から一週間が経ち、再び病院へ行った。
Kさんが病院に連れて行ってくれた。
その日は、診察の後、あかちゃんの供養に行こうと決めていた。
何事もなかったかのように仕事をした。
妊娠する前、
あかちゃんがお腹にいるとき、
いなくなった後。
外見は、何一つ変わっていない。
ひとついのちが宿り、
人知れず死んでいったことなど、
誰も知らない。
気づかない。
職場では、今まで通り、話したり、笑ったりしてなきゃいけない。
でも、会社の友達と何を話してたって楽しくなんかなかったし、
笑っても、たぶん目は笑ってなくて、
空っぽの笑いにしかなっていない。自分でそう感じた。
ただ、身体だけは回復に向かっていて、
手術の翌々日には、出血も目に見えて減った。
下腹部痛もほとんどなくなった。
予想していたより、ずっと回復は早かった。
『激しい運動とか、長時間のたち仕事なんかをすると出血が増えるから、
決して無理はしないこと』
そう言われていた。
でも、あたしは、無理やり動いて、走って、無理して。
それで身体がぶっ壊れてくれるなら、
いっそそうしてしまいたいと、そう思っていた。
実際に無茶をしたわけではなかったが、
木曜日、あたしは生理痛みたいな腰痛と下腹部痛に襲われた。
そしてその翌日には、急に出血が増えた。
でも、不安も心配もしなかった。
あかちゃんのいない自分の身体に、たいした関心は持てなかった。
そして手術から一週間が経ち、再び病院へ行った。
Kさんが病院に連れて行ってくれた。
その日は、診察の後、あかちゃんの供養に行こうと決めていた。
「疲れてるだろうから、
寝たほうが良いよ」
家に着くと、Kさんはそういった。
確かに、疲れてはいたと思う。
だけど、横になっても、
麻酔で眠ったせいか、まったく眠れそうになかった。
「今日は、夜までずっといるから」
Kさんはベッドの横に座った。
あたしはKさんの手を握って、ぼんやりしてた。
おなかに、あかちゃんがいない。
それがだんだん不思議に思えてきてた。
あまりに、簡単に、何も知らない間に、いなくなっちゃったから。
あたしの身体には、苦しみがなかった。
手術を受ければ、もっともっと辛いのだと思っていたのに。
もちろん、痛み止めが切れれば、痛みはあった。
でも、それは時折よせてくるだけの痛みで、
あたしが期待していたような、間断ない激痛ではなかった。
痛みで罪滅ぼしをしようなんて、そんなむしの良いことは許されない。
そう言われているようだった。
痛かったり、苦しかったり。
なんらかの形で、あたしの中に傷が残ってくれれば。
そう思うのは、結局のところ、あたしのエゴなんだと思う。
こんなに辛い思いしてるよ。
今も、いっぱいいっぱい苦しんでるよ。
あたしだって、痛い目をみたんだよ。
だから、もう赦されてもいいんじゃない?
そんなのは、ムシのいいわがまま。
どんなに謝っても、たとえ苦しんでも、後悔しても、ゆるされないこと。
いのちをひとつ殺すっていうのは、そういう事なんだと思う。
あたしは、そう感じてる。
だけど、Kさんはどうなのだろう。
いきなり「あかちゃんができました」って言われて、
手術に行く姿を見送って。
出てきたあたしの姿は、病院に入る時と、なんら変わらなかったはずだ。
もう、あかちゃんはいない。
あたしたちが、そうすると決めて、殺したんだ。
Kさんは、それを、どう受け止めているのだろう。
あなたは、今どんな気持ちでいるのですか、とあたしは尋ねた。
「『終わったなぁ』・・・・・・っていう感じ?」
飄々とした感じで言おうとしたけど、また涙がこみ上げてきた。
もう泣かないって思ってたのに、
急に悲しくなって、涙がぼろぼろこぼれた。
涙は、全然枯れてなかった。
あたしは、泣き顔が見えないように、Kさんに抱きつき、
胸に顔をうずめた。
そして、言葉を待った。
Kさんは、少し黙って、何か考えてた。
「『終わったなぁ』っていうのとは、ちょっと違うよ。
・・・・・・やっぱり、悔しいよ」
Kさんはそう言った。
「30を過ぎたくらいから、ずっと子供がほしいと思ってた。
でも、奥さんは子供ができない体質で、
俺も、できないとは言われなかったけど、
『子供ができにくい』って言われてた。
だから、俺は、あかちゃんができたって聞いたとき、
本当に嬉しかったんだよ」
Kさんは、ぎゅうと力をこめて、あたしの肩を抱いてた。
「それなのに、こんなことになって・・・・・・。 すごく、悔しいよ」
かすかに嗚咽が聞こえて、あたしは驚いた。
Kさんが泣いてた。
あたしと同じように、嗚咽をかみ殺しながら。
相手に泣かれると、自分は強くなきゃいけないような気がして、
あたしは自分の涙を乱暴にぬぐい、Kさんの涙もそっとぬぐった。
「泣かせちゃった・・・・・・」
妊娠がわかったとき、ちっとも喜べなかった。
結論がひとつしかないってわかってたから、
ただ、こわくてこわくて仕方なかった。
でも、あかちゃんがいるってわかってから、
手術をするまでの1週間。
満員電車で無意識にお腹をかばったり、
気がつくと、下腹部に手をあててたり。
あたしの鼓動がはやくなると、
一緒に下腹部がぴくぴくと音を立てて。
「ああ、ここに居るんだなぁ」って思って。
たった1.3cmのあかちゃんだったけど、
しっかりとした重みを、お腹に感じてた。
何日かあとには居なくなっちゃうってわかってても、
それでも、あたしはあかちゃんといるのが嬉しかった。
不安で、悲しくて、毎日泣いてばかりだったけど、
それでも、やっぱりちょっと嬉しかった。
万が一、この先、また彼とのあかちゃんができることがあったとしても、
行き着く先は今と変わらないだろうと思う。
あたしがKさんの『イチバン』になることはないと思う。
そういう関係だって分かってても、
今、この涙だけは信じたいと思った。
もしも。
もしも状況が許すなら、産んであげたかったと。
産まれてきてほしかったと、そう思っていたんだと信じたい。
あかちゃんがお腹の中にいたことを、本当は嬉しいと思っていたと、
そう思いたい。
下腹部がずき、と痛むたびに、あかちゃんのことを思い出す。
思い出すと、条件反射みたいに、涙が止まらなくなる。
「かわいそう」
そして
「愛しい」
そう思っていたのは、あたしひとりだけじゃなかったんだと、
そう信じたい。
その日の夜、あたしの胸はぱんぱんに張った。
しかるべき時間を経て、あかちゃんが産まれてきていたなら、
あたしは、あかちゃんにおっぱいをあげていたんだな。
そう思った。
寝たほうが良いよ」
家に着くと、Kさんはそういった。
確かに、疲れてはいたと思う。
だけど、横になっても、
麻酔で眠ったせいか、まったく眠れそうになかった。
「今日は、夜までずっといるから」
Kさんはベッドの横に座った。
あたしはKさんの手を握って、ぼんやりしてた。
おなかに、あかちゃんがいない。
それがだんだん不思議に思えてきてた。
あまりに、簡単に、何も知らない間に、いなくなっちゃったから。
あたしの身体には、苦しみがなかった。
手術を受ければ、もっともっと辛いのだと思っていたのに。
もちろん、痛み止めが切れれば、痛みはあった。
でも、それは時折よせてくるだけの痛みで、
あたしが期待していたような、間断ない激痛ではなかった。
痛みで罪滅ぼしをしようなんて、そんなむしの良いことは許されない。
そう言われているようだった。
痛かったり、苦しかったり。
なんらかの形で、あたしの中に傷が残ってくれれば。
そう思うのは、結局のところ、あたしのエゴなんだと思う。
こんなに辛い思いしてるよ。
今も、いっぱいいっぱい苦しんでるよ。
あたしだって、痛い目をみたんだよ。
だから、もう赦されてもいいんじゃない?
そんなのは、ムシのいいわがまま。
どんなに謝っても、たとえ苦しんでも、後悔しても、ゆるされないこと。
いのちをひとつ殺すっていうのは、そういう事なんだと思う。
あたしは、そう感じてる。
だけど、Kさんはどうなのだろう。
いきなり「あかちゃんができました」って言われて、
手術に行く姿を見送って。
出てきたあたしの姿は、病院に入る時と、なんら変わらなかったはずだ。
もう、あかちゃんはいない。
あたしたちが、そうすると決めて、殺したんだ。
Kさんは、それを、どう受け止めているのだろう。
あなたは、今どんな気持ちでいるのですか、とあたしは尋ねた。
「『終わったなぁ』・・・・・・っていう感じ?」
飄々とした感じで言おうとしたけど、また涙がこみ上げてきた。
もう泣かないって思ってたのに、
急に悲しくなって、涙がぼろぼろこぼれた。
涙は、全然枯れてなかった。
あたしは、泣き顔が見えないように、Kさんに抱きつき、
胸に顔をうずめた。
そして、言葉を待った。
Kさんは、少し黙って、何か考えてた。
「『終わったなぁ』っていうのとは、ちょっと違うよ。
・・・・・・やっぱり、悔しいよ」
Kさんはそう言った。
「30を過ぎたくらいから、ずっと子供がほしいと思ってた。
でも、奥さんは子供ができない体質で、
俺も、できないとは言われなかったけど、
『子供ができにくい』って言われてた。
だから、俺は、あかちゃんができたって聞いたとき、
本当に嬉しかったんだよ」
Kさんは、ぎゅうと力をこめて、あたしの肩を抱いてた。
「それなのに、こんなことになって・・・・・・。 すごく、悔しいよ」
かすかに嗚咽が聞こえて、あたしは驚いた。
Kさんが泣いてた。
あたしと同じように、嗚咽をかみ殺しながら。
相手に泣かれると、自分は強くなきゃいけないような気がして、
あたしは自分の涙を乱暴にぬぐい、Kさんの涙もそっとぬぐった。
「泣かせちゃった・・・・・・」
妊娠がわかったとき、ちっとも喜べなかった。
結論がひとつしかないってわかってたから、
ただ、こわくてこわくて仕方なかった。
でも、あかちゃんがいるってわかってから、
手術をするまでの1週間。
満員電車で無意識にお腹をかばったり、
気がつくと、下腹部に手をあててたり。
あたしの鼓動がはやくなると、
一緒に下腹部がぴくぴくと音を立てて。
「ああ、ここに居るんだなぁ」って思って。
たった1.3cmのあかちゃんだったけど、
しっかりとした重みを、お腹に感じてた。
何日かあとには居なくなっちゃうってわかってても、
それでも、あたしはあかちゃんといるのが嬉しかった。
不安で、悲しくて、毎日泣いてばかりだったけど、
それでも、やっぱりちょっと嬉しかった。
万が一、この先、また彼とのあかちゃんができることがあったとしても、
行き着く先は今と変わらないだろうと思う。
あたしがKさんの『イチバン』になることはないと思う。
そういう関係だって分かってても、
今、この涙だけは信じたいと思った。
もしも。
もしも状況が許すなら、産んであげたかったと。
産まれてきてほしかったと、そう思っていたんだと信じたい。
あかちゃんがお腹の中にいたことを、本当は嬉しいと思っていたと、
そう思いたい。
下腹部がずき、と痛むたびに、あかちゃんのことを思い出す。
思い出すと、条件反射みたいに、涙が止まらなくなる。
「かわいそう」
そして
「愛しい」
そう思っていたのは、あたしひとりだけじゃなかったんだと、
そう信じたい。
その日の夜、あたしの胸はぱんぱんに張った。
しかるべき時間を経て、あかちゃんが産まれてきていたなら、
あたしは、あかちゃんにおっぱいをあげていたんだな。
そう思った。
予定より30分近く早い時間に、
退院を許された。
退院前に、術後の注意事項を書いた紙を渡され、
薬をもらった。
今日、明日はシャワーも禁止。
明日は、出歩かず、安静にすること。
3週間くらいは、セックスもお酒も、
運動、お風呂、辛いもの、すべて禁止。
激しい痛みや多量の出血があるときは、必ず来院すること。
そんな説明を受けた。
「今度の土曜日に、再診に来てください。
そのときに、次の生理がいつごろになるかとか、
詳しく説明するから」
病院を出るまえに、おむつみたいなナプキンから、
自分の持ってきた下着にはき替えた。
おむつみたいな物の中に、
更に自分が持ってきたナプキンがつけられていた。
ナプキンは、隅から隅まで、血を吸って真っ赤になっていた。
それが、あかちゃんの残骸みたいに思えて、あたしはゾッとした。
目を凝らして探せば、
あかちゃんのかけらが混じっているのではないかと思えた。
胸がずき、として、
自分がすごく残酷なことをしてしまったんだという自覚が、
改めて湧いた。
回復室から病院をでるまでに、待合室がある。
そこにいる誰かが責めるわけでもないのに、
あたしは顔を見られないよう、うつむいて病院を出た。
想像していたより、身体はずっと楽だった。
手術をする前より、楽になったような気がした。
だけど、それが逆に申し訳なくて、後ろめたかった。
あかちゃんを殺してしまったのに、あたしだけ、楽になるなんて。
もっともっと、痛くて良いのに。
苦しくて良いのに。
病院から出ると、Kさんの車が見えた。
Kさんが、走って出てきて、あたしを支えてくれた。
「だいじょうぶ?」Kさんがきいた。
「うん・・・・・・」
あたしは急に力が抜けてしまって、車のシートにもたれかかった。
「夜から、何も飲んでないんでしょ」
飲み物を買ってくれたが、あたしは何も飲む気にはなれなかった。
ひとくちだけ飲んで、目を閉じた。
ひとりでたくさん泣いたから、涙はでなかった。
身体は軽い。
だけど、「健康になった」という感じは消えていて、
中が空洞になってしまっているみたいに思えた。
あたしは、ぽかんとしていた。
空虚、とか、そんな言葉が浮かんだ。
帰りの車中。
Kさんが、行くときにしたみたいに、下腹部に手をおいた。
「もう、何もいないよ」
あたしは言った。
退院を許された。
退院前に、術後の注意事項を書いた紙を渡され、
薬をもらった。
今日、明日はシャワーも禁止。
明日は、出歩かず、安静にすること。
3週間くらいは、セックスもお酒も、
運動、お風呂、辛いもの、すべて禁止。
激しい痛みや多量の出血があるときは、必ず来院すること。
そんな説明を受けた。
「今度の土曜日に、再診に来てください。
そのときに、次の生理がいつごろになるかとか、
詳しく説明するから」
病院を出るまえに、おむつみたいなナプキンから、
自分の持ってきた下着にはき替えた。
おむつみたいな物の中に、
更に自分が持ってきたナプキンがつけられていた。
ナプキンは、隅から隅まで、血を吸って真っ赤になっていた。
それが、あかちゃんの残骸みたいに思えて、あたしはゾッとした。
目を凝らして探せば、
あかちゃんのかけらが混じっているのではないかと思えた。
胸がずき、として、
自分がすごく残酷なことをしてしまったんだという自覚が、
改めて湧いた。
回復室から病院をでるまでに、待合室がある。
そこにいる誰かが責めるわけでもないのに、
あたしは顔を見られないよう、うつむいて病院を出た。
想像していたより、身体はずっと楽だった。
手術をする前より、楽になったような気がした。
だけど、それが逆に申し訳なくて、後ろめたかった。
あかちゃんを殺してしまったのに、あたしだけ、楽になるなんて。
もっともっと、痛くて良いのに。
苦しくて良いのに。
病院から出ると、Kさんの車が見えた。
Kさんが、走って出てきて、あたしを支えてくれた。
「だいじょうぶ?」Kさんがきいた。
「うん・・・・・・」
あたしは急に力が抜けてしまって、車のシートにもたれかかった。
「夜から、何も飲んでないんでしょ」
飲み物を買ってくれたが、あたしは何も飲む気にはなれなかった。
ひとくちだけ飲んで、目を閉じた。
ひとりでたくさん泣いたから、涙はでなかった。
身体は軽い。
だけど、「健康になった」という感じは消えていて、
中が空洞になってしまっているみたいに思えた。
あたしは、ぽかんとしていた。
空虚、とか、そんな言葉が浮かんだ。
帰りの車中。
Kさんが、行くときにしたみたいに、下腹部に手をおいた。
「もう、何もいないよ」
あたしは言った。
ふ、と目が覚めた。
一瞬またぼんやりしたが、
急激に意識がハッキリしてきた。
終わったんだろうか。
記憶はあいまいで、混乱してた。
処置室から、看護師さんに支えられて出たような気もしたが、
運んでもらったのかもしれない。
うっすら覚えている場面場面が、
夢だったのか現実だったのかすら、はっきしりしない。
ベッドに寝かされるとき、「気持ち悪いですか?」と聞かれた気がする。
たしか「何かあったらナースコールを押してくださいね」
と言われたはずだ。
枕のすぐそばに、ナースコールを引き寄せてあった。
「気持ち悪いですか?」と聞かれたのが、
夢ではなかったのだとそれで分かった。
そっと腰のあたりに触れてみた。
あたしは、自分で持ってきた生理用の下着ではなく、
おむつみたいなものを履かされていた。
寝返りをうつと、ナプキンが血を吸って、
ぐっしょりと重くなっているのが分かった。
ああ、本当に終わったんだ。
やっと自覚した。
それを証明するような、身体の変化にあたしは気づいた。
下腹部が、軽くなってた。
ラミナリアを入れた、生理痛みたいな痛みがなくなってた。
ずっと続いてたつわりの気持ち悪さも、すぅっと消えていた。
お腹の張りも、もうない。
ふと、身体も軽くなったような感じがした。
何かがふぅっと抜けた感じだった。
いきなり体調不良が治って健康になったような、
そんな感じがした。
そして、そう感じたことに、激しく罪悪感を覚えた。
まるでそれじゃあ、あかちゃんがワルモノだったみたいじゃないか。
自分は最低な人間だと思った。
お腹をぎゅ、押さえた。
まだ麻酔がきいているのか、そうしても痛みはほとんどなかった。
この中には、もう何もないんだ。
そう思った。
あかちゃん、いないんだ。
いなくなっちゃったんだ。
涙がまた、あふれて止まらなくなった。
後悔と、喪失感と、かわいそう、申し訳ないと思う気持ちが
全部全部ぐちゃぐちゃになってた。
あたしは、泣いた。
看護師さんが様子を見に来たときも、泣き止むことができなかった。
あたしは、必死に鳴き声をかみころし、顔を伏せてた。
看護師さんは「だいじょうぶですか?」と一言だけ聞いた。
あたしがウンウンとうなずくと、何も言わずに出て行った。
ひとりにしてくれたのはありがたかった。
ひとり。
あかちゃんも、いない。
本当に、ひとりだ。
あたしは、いっぱい泣いた。
子供みたいにしゃくりあげながら、いっぱい泣いた。
息ができなくなるくらい、いっぱいいいっぱい泣いた。
でも、これで終わりにしようと思った。
泣くのは、もうこれで終わりにしよう。
Kさんのもとへ戻るときには、
何事もなかったかのように、
いつもの顔でもどる。
悲しむのも、辛い思いをするのも、今日で終わりにする。
だから、今は泣きたいと思った。
我慢するのはもうたくさんだ。
あかちゃんはいなくなってしまった。
悲しい。
悲しい。
かなしい。
一瞬またぼんやりしたが、
急激に意識がハッキリしてきた。
終わったんだろうか。
記憶はあいまいで、混乱してた。
処置室から、看護師さんに支えられて出たような気もしたが、
運んでもらったのかもしれない。
うっすら覚えている場面場面が、
夢だったのか現実だったのかすら、はっきしりしない。
ベッドに寝かされるとき、「気持ち悪いですか?」と聞かれた気がする。
たしか「何かあったらナースコールを押してくださいね」
と言われたはずだ。
枕のすぐそばに、ナースコールを引き寄せてあった。
「気持ち悪いですか?」と聞かれたのが、
夢ではなかったのだとそれで分かった。
そっと腰のあたりに触れてみた。
あたしは、自分で持ってきた生理用の下着ではなく、
おむつみたいなものを履かされていた。
寝返りをうつと、ナプキンが血を吸って、
ぐっしょりと重くなっているのが分かった。
ああ、本当に終わったんだ。
やっと自覚した。
それを証明するような、身体の変化にあたしは気づいた。
下腹部が、軽くなってた。
ラミナリアを入れた、生理痛みたいな痛みがなくなってた。
ずっと続いてたつわりの気持ち悪さも、すぅっと消えていた。
お腹の張りも、もうない。
ふと、身体も軽くなったような感じがした。
何かがふぅっと抜けた感じだった。
いきなり体調不良が治って健康になったような、
そんな感じがした。
そして、そう感じたことに、激しく罪悪感を覚えた。
まるでそれじゃあ、あかちゃんがワルモノだったみたいじゃないか。
自分は最低な人間だと思った。
お腹をぎゅ、押さえた。
まだ麻酔がきいているのか、そうしても痛みはほとんどなかった。
この中には、もう何もないんだ。
そう思った。
あかちゃん、いないんだ。
いなくなっちゃったんだ。
涙がまた、あふれて止まらなくなった。
後悔と、喪失感と、かわいそう、申し訳ないと思う気持ちが
全部全部ぐちゃぐちゃになってた。
あたしは、泣いた。
看護師さんが様子を見に来たときも、泣き止むことができなかった。
あたしは、必死に鳴き声をかみころし、顔を伏せてた。
看護師さんは「だいじょうぶですか?」と一言だけ聞いた。
あたしがウンウンとうなずくと、何も言わずに出て行った。
ひとりにしてくれたのはありがたかった。
ひとり。
あかちゃんも、いない。
本当に、ひとりだ。
あたしは、いっぱい泣いた。
子供みたいにしゃくりあげながら、いっぱい泣いた。
息ができなくなるくらい、いっぱいいいっぱい泣いた。
でも、これで終わりにしようと思った。
泣くのは、もうこれで終わりにしよう。
Kさんのもとへ戻るときには、
何事もなかったかのように、
いつもの顔でもどる。
悲しむのも、辛い思いをするのも、今日で終わりにする。
だから、今は泣きたいと思った。
我慢するのはもうたくさんだ。
あかちゃんはいなくなってしまった。
悲しい。
悲しい。
かなしい。
看護師さんに呼ばれ、処置室に通された。
診察台をもう少し大きくしたような台に寝かされ、
両足をベルトで固定された。
天井には、ライトがいくつも付いた
円盤みたいものがあった。
ドラマの手術シーンでよくでてくるやつだ。
本当に手術するんだなあ、とぼんやり思った。
「麻酔をすると、舌で喉を塞いでしまうことがあるので、
気道を確保しますね」
そういって、肩の下に枕のようなものを入れられた。
そして、目隠しをされた。
あたしは、緊張で氷みたいに冷えた手をずっと下腹部にあてて待った。
道具を準備する、カチャカチャという金属音が、妙に耳をついた。
お医者様がはいってきて、あたしは事前の問診のことで、
いくつか更に質問を受けた。
でも、何か気になる内容があったというよりは、
緊張をほぐすためにきかれたみたいだった。
実際、話をしているあいだにどんどん処置が進められていて、
あたしは緊張こそすれ、怖気づく余裕はなかった。
前処置のときと同様、ぶっきらぼうな診察のときとはうって変わって、
お医者様は優しかった。
もしかして、何万人という患者を診ているお医者様にとっても、
『中絶』というものは悲しいものなのかもしれない。
だから、不機嫌な口調だったのかもしれない。
ふと思った。
話をしている間に、肩と腕に注射をされた。
「全身麻酔だから、10数えるまでに眠くなるよ」
そういわれて、あたしは数をカウントした。
5くらいまで数えた時、お医者様が「眠い?」ときいた。
それが合図だったかのように、ふぅっと頭が重くなった。
睡眠薬をたくさんのんで眠るとき、
ふっと地中に落ちていってしまうような感覚になる。
そういう、強制的な眠気だった。
「眠いです・・・・・・」
そういったのを最後に、あたしの意識は飛んでしまった。
この後死んでしまう、あかちゃんのことを想う余裕すら、なかった。
診察台をもう少し大きくしたような台に寝かされ、
両足をベルトで固定された。
天井には、ライトがいくつも付いた
円盤みたいものがあった。
ドラマの手術シーンでよくでてくるやつだ。
本当に手術するんだなあ、とぼんやり思った。
「麻酔をすると、舌で喉を塞いでしまうことがあるので、
気道を確保しますね」
そういって、肩の下に枕のようなものを入れられた。
そして、目隠しをされた。
あたしは、緊張で氷みたいに冷えた手をずっと下腹部にあてて待った。
道具を準備する、カチャカチャという金属音が、妙に耳をついた。
お医者様がはいってきて、あたしは事前の問診のことで、
いくつか更に質問を受けた。
でも、何か気になる内容があったというよりは、
緊張をほぐすためにきかれたみたいだった。
実際、話をしているあいだにどんどん処置が進められていて、
あたしは緊張こそすれ、怖気づく余裕はなかった。
前処置のときと同様、ぶっきらぼうな診察のときとはうって変わって、
お医者様は優しかった。
もしかして、何万人という患者を診ているお医者様にとっても、
『中絶』というものは悲しいものなのかもしれない。
だから、不機嫌な口調だったのかもしれない。
ふと思った。
話をしている間に、肩と腕に注射をされた。
「全身麻酔だから、10数えるまでに眠くなるよ」
そういわれて、あたしは数をカウントした。
5くらいまで数えた時、お医者様が「眠い?」ときいた。
それが合図だったかのように、ふぅっと頭が重くなった。
睡眠薬をたくさんのんで眠るとき、
ふっと地中に落ちていってしまうような感覚になる。
そういう、強制的な眠気だった。
「眠いです・・・・・・」
そういったのを最後に、あたしの意識は飛んでしまった。
この後死んでしまう、あかちゃんのことを想う余裕すら、なかった。
手術の日の朝、Kさんは約束の時間ぴったりにやってきた。
同意書にはんこを押してもらい、すぐに家を出たから、
病院には、30分以上早く着いてしまった。
駐車場に車を停め、時間を潰した。
あたしは緊張してた。
これから何が起こるのかわからず、こわかった。
お腹に手をあてていたら、Kさんがあたしの手の上に手を重ねた。
お腹のあかちゃんは、うんともすんともいわない。
ラミナリアのせいで、生理痛みたいな痛みはあったけれど、
いつものように、あたしの不安とか、どきどきに合わせた、
ズキズキが、その日はなかったように思う。
Kさんと手をつなぎ、時間が過ぎるのを待った。
会話なんてなかった。
ただ、じっと押し黙ってた。
手術は10時から。
「少し、早めに行った方が良いのかな」
あたしは言った。
「そうだね。最初に説明もあるだろうから」
Kさんが言った。
「じゃあ、そろそろ行ってきます」
「うん」
あたしは、車の中で、Kさんにぎゅうと抱きついた。
「こわい」
我慢しきれなくて、言葉が漏れた。
Kさんは、ぎゅ、とあたしを抱き返してくれた。
「オムニアがでてくるまで、ずっとここにいるから。
なにかあったら、すぐ連絡しておいで」
「ん……」
病院内まで、一緒についてきて欲しかったけれど、
病院側から、付き添いはできないと言われていた。
あたしは同意書と、手術費用、ナプキンがあるのを確かめて、
病院へ行った。
病院に入り、受付で同意書と手術費用を渡した。
待合室には、もう何人か患者さんがいたけれど、
あたしは順番どおりでなく、すぐに名前を呼ばれた。
通されたのは診察室ではなく、「回復室」という部屋だった。
ベッドと小さな棚、洗面台があるだけの、小さな個室だった。
担当の看護師さんから手術の説明があり、いくつかの問診を受けた。
そして、持ってきたナプキンを預けた。
「では、準備ができたら呼びに来ますね。
それまでに、上下の下着やコンタクトははずしておいてください。
肩と腕に注射をしますので、
出しやすい格好になっておいてください」
手術着みたいなものはないらしかった。
あたしは言われたとおり、コンタクトと下着をはずして、待った。
時計をみた。
10時15分くらいだった。
あと3時間弱で、何もかも終わってるんだな、と思った。
下腹部に手をあてた。
お腹のなかから押されるような張り。
これがなくなったら、どんな感じなんだろう。
そう思った。
処置室に呼ばれるまで、あたしはずっとお腹をさすってた。
緊張と、不安。
Kさんがここにいてくれたら良いのに。
何度目かわからないが、また、そう思った。
病院からの帰りにしてくれたみたいに、お腹に手をあててほしかった。
手のぬくもりが恋しかった。
こわかった。
ただ、こわかった。
同意書にはんこを押してもらい、すぐに家を出たから、
病院には、30分以上早く着いてしまった。
駐車場に車を停め、時間を潰した。
あたしは緊張してた。
これから何が起こるのかわからず、こわかった。
お腹に手をあてていたら、Kさんがあたしの手の上に手を重ねた。
お腹のあかちゃんは、うんともすんともいわない。
ラミナリアのせいで、生理痛みたいな痛みはあったけれど、
いつものように、あたしの不安とか、どきどきに合わせた、
ズキズキが、その日はなかったように思う。
Kさんと手をつなぎ、時間が過ぎるのを待った。
会話なんてなかった。
ただ、じっと押し黙ってた。
手術は10時から。
「少し、早めに行った方が良いのかな」
あたしは言った。
「そうだね。最初に説明もあるだろうから」
Kさんが言った。
「じゃあ、そろそろ行ってきます」
「うん」
あたしは、車の中で、Kさんにぎゅうと抱きついた。
「こわい」
我慢しきれなくて、言葉が漏れた。
Kさんは、ぎゅ、とあたしを抱き返してくれた。
「オムニアがでてくるまで、ずっとここにいるから。
なにかあったら、すぐ連絡しておいで」
「ん……」
病院内まで、一緒についてきて欲しかったけれど、
病院側から、付き添いはできないと言われていた。
あたしは同意書と、手術費用、ナプキンがあるのを確かめて、
病院へ行った。
病院に入り、受付で同意書と手術費用を渡した。
待合室には、もう何人か患者さんがいたけれど、
あたしは順番どおりでなく、すぐに名前を呼ばれた。
通されたのは診察室ではなく、「回復室」という部屋だった。
ベッドと小さな棚、洗面台があるだけの、小さな個室だった。
担当の看護師さんから手術の説明があり、いくつかの問診を受けた。
そして、持ってきたナプキンを預けた。
「では、準備ができたら呼びに来ますね。
それまでに、上下の下着やコンタクトははずしておいてください。
肩と腕に注射をしますので、
出しやすい格好になっておいてください」
手術着みたいなものはないらしかった。
あたしは言われたとおり、コンタクトと下着をはずして、待った。
時計をみた。
10時15分くらいだった。
あと3時間弱で、何もかも終わってるんだな、と思った。
下腹部に手をあてた。
お腹のなかから押されるような張り。
これがなくなったら、どんな感じなんだろう。
そう思った。
処置室に呼ばれるまで、あたしはずっとお腹をさすってた。
緊張と、不安。
Kさんがここにいてくれたら良いのに。
何度目かわからないが、また、そう思った。
病院からの帰りにしてくれたみたいに、お腹に手をあててほしかった。
手のぬくもりが恋しかった。
こわかった。
ただ、こわかった。
その夜は、腰の痛みと、
緊張のせいで眠れなかった。
ひとりで腰をさすりながら、
ベッドにうずくまってた。
電話がなった。
Kさんからだった。
あたしは一瞬喜び、一瞬落胆した。
電話をくれるということは、今日は会いに来てくれないんだ。
そう思った。
「今日は病院で前処置をしてきました」
「そうか。大丈夫だった?」
「ん。トラブルとかはなかったみたい。
子宮がまがってるから、入れるの大変だったみたいだけど」
「入れる? 前処置って薬か何かを使うんじゃないの?」
当然ながら、Kさんは何も知らないらしかった。
「違います。ラミナリアっていう、道具みたいなのを入れるんです」
「中に?」
「そう」
「平気なの?」
「痛いですよ」
少しイラ、としてあたしは言った。
「子宮口に刺すんだもん。痛いですよ」
『子宮口に刺す』と言ったところで、
Kさんにイメージが湧くとは思わなかったけれど、
そう言った。
処置するときに何の説明もなかったし、
目隠しで仕切られていて、何も見えなかったし、
あたしもギュウと目を閉じていた。
だから、どんな物をどういう風に入れたとか、
そんなことはあたしにだって分からなかったし、
わかったところで、詳しく説明なんかしたくなかった。
ただ、ひとりで痛がったり不安がったりしているのが、
急バカらしくなった。
『痛い』と言っても、
Kさんはチクリとする程度だと思っているかもしれない。
あたしが泣きそうになりながら我慢したことも、
帰り、どんなにみじめになっていたかも、
今、どんなに不安と痛みに苦しんでいるかも、
Kさんは全部知らないんだ。
そう思うと、空しくなった。
ひとりで振り回されているみたいだった。
だから、八つ当たりみたいに言っただけだった。
「ごめん」またKさんが言った。
「痛い思いをさせて」
『ごめん』なんていらなかった。
謝るくらいなら、傍にいてほしかった。
こわいし、不安だし、痛いのだって辛いです。
だから、今から会いに来てください。
優しい言葉なんていらないし、宥めてくれなくてもいいから、
そばにいてください。
もしそう言ったら、Kさんは本当に会いに来てくれるのだろうか。
来てくれるのだとしたら、
家族にどんな言い訳をして出てくるのだろう。
想像しかけて、嫌になってやめた。
電話を切ったあと、またひとりで泣いた。
もう嫌だ、そう思った。
はやく明日になっちゃえばいい。
何もかも、さっさと終わってしまえばいい。
お腹はズキズキ痛んだけれど、
その時、あたしはあかちゃんのことなんか考えてなかったと思う。
なんで、ひとりでくるしまなきゃいけないの?
ただ空しくて、イライラして、自分ひとりのためだけに泣いた。
明日、自分があかちゃんを殺そうとしているのに、
自分のせいで、あかちゃんを犠牲にしようとしているのに、
自分のことしか考えてなかった。
最低だ、と思う。
緊張のせいで眠れなかった。
ひとりで腰をさすりながら、
ベッドにうずくまってた。
電話がなった。
Kさんからだった。
あたしは一瞬喜び、一瞬落胆した。
電話をくれるということは、今日は会いに来てくれないんだ。
そう思った。
「今日は病院で前処置をしてきました」
「そうか。大丈夫だった?」
「ん。トラブルとかはなかったみたい。
子宮がまがってるから、入れるの大変だったみたいだけど」
「入れる? 前処置って薬か何かを使うんじゃないの?」
当然ながら、Kさんは何も知らないらしかった。
「違います。ラミナリアっていう、道具みたいなのを入れるんです」
「中に?」
「そう」
「平気なの?」
「痛いですよ」
少しイラ、としてあたしは言った。
「子宮口に刺すんだもん。痛いですよ」
『子宮口に刺す』と言ったところで、
Kさんにイメージが湧くとは思わなかったけれど、
そう言った。
処置するときに何の説明もなかったし、
目隠しで仕切られていて、何も見えなかったし、
あたしもギュウと目を閉じていた。
だから、どんな物をどういう風に入れたとか、
そんなことはあたしにだって分からなかったし、
わかったところで、詳しく説明なんかしたくなかった。
ただ、ひとりで痛がったり不安がったりしているのが、
急バカらしくなった。
『痛い』と言っても、
Kさんはチクリとする程度だと思っているかもしれない。
あたしが泣きそうになりながら我慢したことも、
帰り、どんなにみじめになっていたかも、
今、どんなに不安と痛みに苦しんでいるかも、
Kさんは全部知らないんだ。
そう思うと、空しくなった。
ひとりで振り回されているみたいだった。
だから、八つ当たりみたいに言っただけだった。
「ごめん」またKさんが言った。
「痛い思いをさせて」
『ごめん』なんていらなかった。
謝るくらいなら、傍にいてほしかった。
こわいし、不安だし、痛いのだって辛いです。
だから、今から会いに来てください。
優しい言葉なんていらないし、宥めてくれなくてもいいから、
そばにいてください。
もしそう言ったら、Kさんは本当に会いに来てくれるのだろうか。
来てくれるのだとしたら、
家族にどんな言い訳をして出てくるのだろう。
想像しかけて、嫌になってやめた。
電話を切ったあと、またひとりで泣いた。
もう嫌だ、そう思った。
はやく明日になっちゃえばいい。
何もかも、さっさと終わってしまえばいい。
お腹はズキズキ痛んだけれど、
その時、あたしはあかちゃんのことなんか考えてなかったと思う。
なんで、ひとりでくるしまなきゃいけないの?
ただ空しくて、イライラして、自分ひとりのためだけに泣いた。
明日、自分があかちゃんを殺そうとしているのに、
自分のせいで、あかちゃんを犠牲にしようとしているのに、
自分のことしか考えてなかった。
最低だ、と思う。
手術前日。
前処置をしに行くため、
あたしは急いで会社を出た。
無理やり仕事をきりあげたが、
時間はギリギリだった。
駅まで走った。
あたしの心臓がどきどき早鐘を打つと、
下腹部がぴくぴくと、ちっちゃく反応した。
ここに、あかちゃんがいる。
でも・・・・・・明日でいなくなる。
病院に、ほかの患者はいなかった。
診療時間外だから当たり前だけれど。
受付をすると、看護師さんが診察室に向かって
「ラミの患者さん、いらっしゃいました」と言っているのが聞こえた。
ラミ。
ラミナリア。
ネットで調べた。
子宮口をひらくために入れるものだ。
痛みを伴う、ということも知っていたので、あたしは更に緊張した。
診察室に入った。
特に何か説明があるわけでもなく、
すぐに診察台にのぼるよう指示された。
インターネット上の知識だけで、何もわからず、あたしは不安だった。
手が氷みたいに冷えてた。
下腹部が痛むような、苦しいような感じがした。
下着をとり、診察台にのぼった。
目隠し用のカーテンの向こうに、先生が入ってきた。
はじめに触診があった。
先生が膣に指をいれ、下腹部を押さえた。
おさえる手を動かして、下腹部の右寄りの部分を何度か押した。
「子宮がちょっと曲がってるな」先生が言った。
「普段、腰痛とか便秘があるんじゃない?」
ああ、それでいつも生理痛が腰にくるのか。
曲がってるから、お腹の真ん中じゃなくて、
少し右が張ってたのか。
だから、すこし右側でぴくぴくと鼓動がきこえたんだ。
そう思った。
膣につめたい道具が入れられた。
ぐいぐい動かして、何かを膣の奥に入れられた。
イラ、とするような苦しいような痛みがあった。
道具を入れたままの膣もヒリヒリした。
痛い。
あたしは、服をぎゅうとつかみ、ねじって我慢した。
早く終わって。
そう思った。
「ちょっとチクッとするよ」
ぐい、と膣の奥の奥に何かが刺さる感じがした。
あたしは思わず悲鳴をあげた。
怪我をする時とは違う、内側、内臓を刺されるような痛み。
手が震えた。
暴れて、逃げ出したくなった。
「お腹に力を入れない! 力抜きない」
そういわれ、力を抜こうとしたが、
身体が変な風に緊張して、かたまってしまっていた。
痛いよう。
早く、早く終われば良いのに。
「ああ、よかった、入った入った」
ほっとした声で先生が言った。
「じゃあ、出てこないようにガーゼ入れるからね」
また、何かを入れられ、処置は終わった。
「今日は生理痛みたいな痛みがあると思います。
出血しても不思議じゃない。
痛みがひどいときは、生理痛の薬がきくよ。
出かけるくらいならかまわないけど、お酒を飲んだりしないこと。
あと、晩御飯以降は水をのんだり物を食べたりしないこと。
これが一番大事だからね」
淡々と説明があった。
あたしはふらつきながら下着をつけ、診察室に戻った。
「今日は痛かったね。
明日は全身麻酔するから、全然痛くない。
寝てる間に終わるから」
最後に、先生が優しくそう言った。
今までぶっきらぼうな言葉ばかりだったから、ちょっと意外だった。
病院を出るとき、看護師さんに
「お疲れ様でした。また明日」
と言われた。
『また明日』
その言葉にすごく違和感を覚えた。
そうか。
いよいよ明日なんだ。
ずきずきと続く、下腹部と腰の鈍痛。
先生の言うとおり、一番ひどいときの生理痛みたいだった。
膣もまだヒリヒリしてた。
子宮のあたりと膣に何かが詰まっているのがわかるから、
あたしの歩き方は、すごく不自然で、よちよちしてたと思う。
時計をみると、30分くらいしか経っていなかった。
でも、外はもう真っ暗で、ひどく寒かった。
真夜中みたいに暗い空。
町の電飾。
クラクション。
連れ合って歩く人。
全部、薄布を一枚はさんで見ているような、変な感じがした。
どっと疲れた。
もう倒れこんでしまいたかった。
でも、一人で帰らないと。
助けてくれる人なんていないんだから。
Kさんが、ここに居てくれたら良いのに。
また、そう思った。
Kさんのことが恋しかった。
あたしは、また泣きたくなった。
みじめだった。
唇をかみしめ、うつむいて、帰りの電車に乗った。
ずきずきするのも、やっぱりお腹の少し右側。
おとうさんとおかあさんに似てひねくれ者だから、
わざとずれたところに居るんだな。
そんな、いじわるなことを考えてみた。
前処置をしに行くため、
あたしは急いで会社を出た。
無理やり仕事をきりあげたが、
時間はギリギリだった。
駅まで走った。
あたしの心臓がどきどき早鐘を打つと、
下腹部がぴくぴくと、ちっちゃく反応した。
ここに、あかちゃんがいる。
でも・・・・・・明日でいなくなる。
病院に、ほかの患者はいなかった。
診療時間外だから当たり前だけれど。
受付をすると、看護師さんが診察室に向かって
「ラミの患者さん、いらっしゃいました」と言っているのが聞こえた。
ラミ。
ラミナリア。
ネットで調べた。
子宮口をひらくために入れるものだ。
痛みを伴う、ということも知っていたので、あたしは更に緊張した。
診察室に入った。
特に何か説明があるわけでもなく、
すぐに診察台にのぼるよう指示された。
インターネット上の知識だけで、何もわからず、あたしは不安だった。
手が氷みたいに冷えてた。
下腹部が痛むような、苦しいような感じがした。
下着をとり、診察台にのぼった。
目隠し用のカーテンの向こうに、先生が入ってきた。
はじめに触診があった。
先生が膣に指をいれ、下腹部を押さえた。
おさえる手を動かして、下腹部の右寄りの部分を何度か押した。
「子宮がちょっと曲がってるな」先生が言った。
「普段、腰痛とか便秘があるんじゃない?」
ああ、それでいつも生理痛が腰にくるのか。
曲がってるから、お腹の真ん中じゃなくて、
少し右が張ってたのか。
だから、すこし右側でぴくぴくと鼓動がきこえたんだ。
そう思った。
膣につめたい道具が入れられた。
ぐいぐい動かして、何かを膣の奥に入れられた。
イラ、とするような苦しいような痛みがあった。
道具を入れたままの膣もヒリヒリした。
痛い。
あたしは、服をぎゅうとつかみ、ねじって我慢した。
早く終わって。
そう思った。
「ちょっとチクッとするよ」
ぐい、と膣の奥の奥に何かが刺さる感じがした。
あたしは思わず悲鳴をあげた。
怪我をする時とは違う、内側、内臓を刺されるような痛み。
手が震えた。
暴れて、逃げ出したくなった。
「お腹に力を入れない! 力抜きない」
そういわれ、力を抜こうとしたが、
身体が変な風に緊張して、かたまってしまっていた。
痛いよう。
早く、早く終われば良いのに。
「ああ、よかった、入った入った」
ほっとした声で先生が言った。
「じゃあ、出てこないようにガーゼ入れるからね」
また、何かを入れられ、処置は終わった。
「今日は生理痛みたいな痛みがあると思います。
出血しても不思議じゃない。
痛みがひどいときは、生理痛の薬がきくよ。
出かけるくらいならかまわないけど、お酒を飲んだりしないこと。
あと、晩御飯以降は水をのんだり物を食べたりしないこと。
これが一番大事だからね」
淡々と説明があった。
あたしはふらつきながら下着をつけ、診察室に戻った。
「今日は痛かったね。
明日は全身麻酔するから、全然痛くない。
寝てる間に終わるから」
最後に、先生が優しくそう言った。
今までぶっきらぼうな言葉ばかりだったから、ちょっと意外だった。
病院を出るとき、看護師さんに
「お疲れ様でした。また明日」
と言われた。
『また明日』
その言葉にすごく違和感を覚えた。
そうか。
いよいよ明日なんだ。
ずきずきと続く、下腹部と腰の鈍痛。
先生の言うとおり、一番ひどいときの生理痛みたいだった。
膣もまだヒリヒリしてた。
子宮のあたりと膣に何かが詰まっているのがわかるから、
あたしの歩き方は、すごく不自然で、よちよちしてたと思う。
時計をみると、30分くらいしか経っていなかった。
でも、外はもう真っ暗で、ひどく寒かった。
真夜中みたいに暗い空。
町の電飾。
クラクション。
連れ合って歩く人。
全部、薄布を一枚はさんで見ているような、変な感じがした。
どっと疲れた。
もう倒れこんでしまいたかった。
でも、一人で帰らないと。
助けてくれる人なんていないんだから。
Kさんが、ここに居てくれたら良いのに。
また、そう思った。
Kさんのことが恋しかった。
あたしは、また泣きたくなった。
みじめだった。
唇をかみしめ、うつむいて、帰りの電車に乗った。
ずきずきするのも、やっぱりお腹の少し右側。
おとうさんとおかあさんに似てひねくれ者だから、
わざとずれたところに居るんだな。
そんな、いじわるなことを考えてみた。
家に帰れば、ひとりだ。
あたしは、しん、とした部屋で、
泣いてばかりいた。
あたしが泣くと、
不思議とお腹がズキ、とした。
ココにいる、っていうのを、すごくはっきり感じることができた。
あかちゃんと、あたし。
孤独。
Kさんがいてくれたら。
そう思った。
Kさんは、去年の秋に転職をしていて、今は会社で会うこともできない。
週末、時間を作って会いに来てくれたように、
手術までの一週間、Kさんが会いに来てくれないだろうかと、
あたしは少し期待していた。
だけど、月曜日に身体を気遣うメールが来て以来、
電話も、メールもなかった。
会いに来てくれることもなかった。
あかちゃんのことなんて、忘れてしまっているのではないだろうか。
どうでも良いと思っているのではないだろうか・・・・・・。
そう思うと、こちらから連絡をとることは、こわくてできなかった。
やっぱり、ひとりで抱え込むしかない。
あたしは、ただ毎日毎日泣いた。
もう、何が悲しいのか辛いのかわからなくなるくらいに
泣いてばっかりだった。
水曜日の夜、Kさんからメールが来た。
Kさんのお母さんが脳溢血で倒れた、というものだった。
一命はとりとめたらしいが、意識が戻らないらしい。
お母さんが倒れたのならば、傍にいてくれなくても仕方ない。
そう思うしかなかった。
もしかしたら、土曜の手術の日も、傍にいてくれないかもしれない。
でも、わがままは言っちゃいけない。
あたしは、我慢するしかないんだ。
あかちゃんがお腹にいるのに、
あたしはものすごく孤独だと感じた。
あかちゃんがいるから、ひとりじゃないのに。
ひとりぼっちで居るみたい。
寂しい。
不安で、こわい。
いっそ、すべて一人で抱え込んでしまうと、
そう決めればよかった。
あたしは、しん、とした部屋で、
泣いてばかりいた。
あたしが泣くと、
不思議とお腹がズキ、とした。
ココにいる、っていうのを、すごくはっきり感じることができた。
あかちゃんと、あたし。
孤独。
Kさんがいてくれたら。
そう思った。
Kさんは、去年の秋に転職をしていて、今は会社で会うこともできない。
週末、時間を作って会いに来てくれたように、
手術までの一週間、Kさんが会いに来てくれないだろうかと、
あたしは少し期待していた。
だけど、月曜日に身体を気遣うメールが来て以来、
電話も、メールもなかった。
会いに来てくれることもなかった。
あかちゃんのことなんて、忘れてしまっているのではないだろうか。
どうでも良いと思っているのではないだろうか・・・・・・。
そう思うと、こちらから連絡をとることは、こわくてできなかった。
やっぱり、ひとりで抱え込むしかない。
あたしは、ただ毎日毎日泣いた。
もう、何が悲しいのか辛いのかわからなくなるくらいに
泣いてばっかりだった。
水曜日の夜、Kさんからメールが来た。
Kさんのお母さんが脳溢血で倒れた、というものだった。
一命はとりとめたらしいが、意識が戻らないらしい。
お母さんが倒れたのならば、傍にいてくれなくても仕方ない。
そう思うしかなかった。
もしかしたら、土曜の手術の日も、傍にいてくれないかもしれない。
でも、わがままは言っちゃいけない。
あたしは、我慢するしかないんだ。
あかちゃんがお腹にいるのに、
あたしはものすごく孤独だと感じた。
あかちゃんがいるから、ひとりじゃないのに。
ひとりぼっちで居るみたい。
寂しい。
不安で、こわい。
いっそ、すべて一人で抱え込んでしまうと、
そう決めればよかった。
「おめでとう」を言われない子
2007年2月5日 恋愛
手術までの一週間。
正確には、たった5日。
なのに、すごくすごく長く感じた。
あかちゃんがいるってわかってから、
あたしは一日中、お腹のことを気にしてた。
お腹を気にする、あかちゃんをきにするということは、
中絶を思い出すということ。
思い出せば、悲しくて悲しくてたまらなくなる。
だから、できるだけ仕事に集中して、思い出さないようにしたかった。
だけど。
はかったかのように、あたしの周りには
あかちゃんを思い出させることが多かった。
会社では、2つ隣の席の社員さんが2人目のあかちゃんを妊娠していた。
そろそろあかちゃんが欲しい、っていう
隣の席の社員さんと、一日中、あかちゃんの話をしてる。
話は、嫌でも耳に入ってくる。
「若いうちに産んでおいたほうがいいよ」
そんなことを言われたりする。
あたしは苦笑するしかない。
あたしの姉も、ちょうど妊娠をしていて。
たまに電話で話をすると、やっぱりあかちゃんの話になる。
姉は、ほとんどつわりはないらしいけど、
海老だけが食べられなくなってしまったらしい。
つわり。
「あんたも、妊娠してみればどんな感じかわかるよ」
あたしは「そうかなぁ」とあいまいに言うしかない。
わかるよ。
たぶん、おねえちゃんより、
あたしのつわりの方がよっぽどひどいと思うよ。
言うのは、心のなかだけ。
姉も、社員さんも、4ヶ月、だそうだ。
あたしのあかちゃんの倍。
二人とも、まわりから「おめでとう」をたくさん言われて、
すごく幸せそうにしてる。
あかちゃんの話をするときは、どこか自慢げで、
誇らしそうで、嬉しそう。
でも、あたしは――。
あたしのあかちゃんは、誰からも「おめでとう」って言われない。
お腹の中にいることすら、誰にも知ってもらえない。
今、8週目で、もう心臓がどきどきいってるんだよ。
あたしとKさん以外、誰も知らない。
正確には、たった5日。
なのに、すごくすごく長く感じた。
あかちゃんがいるってわかってから、
あたしは一日中、お腹のことを気にしてた。
お腹を気にする、あかちゃんをきにするということは、
中絶を思い出すということ。
思い出せば、悲しくて悲しくてたまらなくなる。
だから、できるだけ仕事に集中して、思い出さないようにしたかった。
だけど。
はかったかのように、あたしの周りには
あかちゃんを思い出させることが多かった。
会社では、2つ隣の席の社員さんが2人目のあかちゃんを妊娠していた。
そろそろあかちゃんが欲しい、っていう
隣の席の社員さんと、一日中、あかちゃんの話をしてる。
話は、嫌でも耳に入ってくる。
「若いうちに産んでおいたほうがいいよ」
そんなことを言われたりする。
あたしは苦笑するしかない。
あたしの姉も、ちょうど妊娠をしていて。
たまに電話で話をすると、やっぱりあかちゃんの話になる。
姉は、ほとんどつわりはないらしいけど、
海老だけが食べられなくなってしまったらしい。
つわり。
「あんたも、妊娠してみればどんな感じかわかるよ」
あたしは「そうかなぁ」とあいまいに言うしかない。
わかるよ。
たぶん、おねえちゃんより、
あたしのつわりの方がよっぽどひどいと思うよ。
言うのは、心のなかだけ。
姉も、社員さんも、4ヶ月、だそうだ。
あたしのあかちゃんの倍。
二人とも、まわりから「おめでとう」をたくさん言われて、
すごく幸せそうにしてる。
あかちゃんの話をするときは、どこか自慢げで、
誇らしそうで、嬉しそう。
でも、あたしは――。
あたしのあかちゃんは、誰からも「おめでとう」って言われない。
お腹の中にいることすら、誰にも知ってもらえない。
今、8週目で、もう心臓がどきどきいってるんだよ。
あたしとKさん以外、誰も知らない。
病院から帰ると、
どっと疲れがおそってきた。
つわりのせいで電車にも酔っていて、
ひどく気持ちが悪かった。
「すこし寝たら?」Kさんが言った。
でも、あたしは手帳に挟んでおいた、中絶同意書をとりだして、テーブルに置いた。
「書いてください」
Kさんは黙って、同意書に住所と名前を書いた。
あたしの家の住所を書くのかと思ったけれど、
正直に自分の家の住所を書いてた。
「印鑑は、土曜日に持ってくるよ」
あたしはその場で名前を書き、はんこを押した。
署名することには、何の抵抗もなかった。
ためらいや重みを感じるには、
紙はあまりにも薄っぺらで、ちゃちだった。
Kさんは、疲れて横になったあたしのお腹、
おへその上あたりに手をあててた。
「あかちゃんが居るの、この辺だと思うよ」
あたしは、Kさんの手を、自分の下腹部にあてた。
「居るの、わかる?」Kさんがきいた。
「うん・・・・・・なんか、お腹が張ってる感じがする。
何か、重たいものが入ってるな、っていう感じがする」
Kさんは、あたしのお腹を見つめてた。
「・・・・・・男のひとって、『妊娠したよ』って言われて、
すぐ実感が湧くものなんですか?」
あたしはきいた。
「あたしは、自分のなかに赤ちゃんがいても、
お医者さんに写真を見せられるまで、
実感なんか湧かなかったよ」
「実感は、湧いたよ」Kさんは言う。
「今年の初め、オムニアが『気持ち悪い』って言ったとき、
『あかちゃんができたんじゃないの』って言ったよね。
あれは、本気で言ってたんだよ。
理由はわからないけど、本当にそんな気がしてた」
「あかちゃんができた、って言ったとき・・・・・・どう思った?」
怖いけれど、どうしてもききたかった。
「イヤだった・・・・・・?」
「嫌じゃないよ」Kさんはすぐに言った。
「好きな人に子供ができたら、嬉しいよ」
あたしは、枕に顔をうずめた。「あたしは・・・・・・」
「あたしは、ちっとも嬉しくなかったよ」
「ただ、こわくて仕方なかった。
どうしようどうしよう、って思ったよ・・・・・・」
こわいから。不安だから。
Kさんの気持ちを聞きたい。
でも、どんな言葉を返されても、信じることはできなかった。
それでも、あたしは、Kさんの気持ちをしりたくて仕方なかった。
もしかしたら、「嫌だった」と言われたかったのかもしれない。
Kさんは、また「ごめん」を言った。
悲しませて、本当に申し訳ないと。
「オムニアも、本当は中絶なんてしたくなかったんでしょ?」
また、涙があふれてきた。
「わかんない・・・・・・」
産みたい、のかどうか。
正直言って、わからない。
Kさんとあたしの子供。
想像がつかない。
その子をだっこしてるイメージも全然湧かない。
でも、
中絶が、悲しくて悲しくて仕方ないのは確かで。
「中絶なんて、したくないよ」
ただ、Kさんの前でそう言ってはいけないような気がして、言えなかった。
その日、あたしははじめてKさんにあかちゃんの写真を見せた。
「ここに居るのが、あかちゃんなんだね」
それ以外の言葉はなかった。
ただ、Kさんはとても長い時間、写真を見つめてた。
帰り際。
Kさんはあたしにキスをしようとした。
あたしは、顔をそむけ、いやいやをして拒んだ。
やはり求めてられるのは、そういう行為なんだろうかと思えて、
一瞬、ひどく悲しくなった。
「もう、不安なことはない?」
Kさんがきいた。
不安ばっかりだよ。
あたしは思った。
あかちゃんのことも、手術のことも、Kさんの気持ちも。
これからのこと、全部全部、こわいし不安だよ。
「大丈夫・・・・・・」
言いたい言葉を全部飲み込んだ。
代わりに、ぎゅうと抱きついた。
どっと疲れがおそってきた。
つわりのせいで電車にも酔っていて、
ひどく気持ちが悪かった。
「すこし寝たら?」Kさんが言った。
でも、あたしは手帳に挟んでおいた、中絶同意書をとりだして、テーブルに置いた。
「書いてください」
Kさんは黙って、同意書に住所と名前を書いた。
あたしの家の住所を書くのかと思ったけれど、
正直に自分の家の住所を書いてた。
「印鑑は、土曜日に持ってくるよ」
あたしはその場で名前を書き、はんこを押した。
署名することには、何の抵抗もなかった。
ためらいや重みを感じるには、
紙はあまりにも薄っぺらで、ちゃちだった。
Kさんは、疲れて横になったあたしのお腹、
おへその上あたりに手をあててた。
「あかちゃんが居るの、この辺だと思うよ」
あたしは、Kさんの手を、自分の下腹部にあてた。
「居るの、わかる?」Kさんがきいた。
「うん・・・・・・なんか、お腹が張ってる感じがする。
何か、重たいものが入ってるな、っていう感じがする」
Kさんは、あたしのお腹を見つめてた。
「・・・・・・男のひとって、『妊娠したよ』って言われて、
すぐ実感が湧くものなんですか?」
あたしはきいた。
「あたしは、自分のなかに赤ちゃんがいても、
お医者さんに写真を見せられるまで、
実感なんか湧かなかったよ」
「実感は、湧いたよ」Kさんは言う。
「今年の初め、オムニアが『気持ち悪い』って言ったとき、
『あかちゃんができたんじゃないの』って言ったよね。
あれは、本気で言ってたんだよ。
理由はわからないけど、本当にそんな気がしてた」
「あかちゃんができた、って言ったとき・・・・・・どう思った?」
怖いけれど、どうしてもききたかった。
「イヤだった・・・・・・?」
「嫌じゃないよ」Kさんはすぐに言った。
「好きな人に子供ができたら、嬉しいよ」
あたしは、枕に顔をうずめた。「あたしは・・・・・・」
「あたしは、ちっとも嬉しくなかったよ」
「ただ、こわくて仕方なかった。
どうしようどうしよう、って思ったよ・・・・・・」
こわいから。不安だから。
Kさんの気持ちを聞きたい。
でも、どんな言葉を返されても、信じることはできなかった。
それでも、あたしは、Kさんの気持ちをしりたくて仕方なかった。
もしかしたら、「嫌だった」と言われたかったのかもしれない。
Kさんは、また「ごめん」を言った。
悲しませて、本当に申し訳ないと。
「オムニアも、本当は中絶なんてしたくなかったんでしょ?」
また、涙があふれてきた。
「わかんない・・・・・・」
産みたい、のかどうか。
正直言って、わからない。
Kさんとあたしの子供。
想像がつかない。
その子をだっこしてるイメージも全然湧かない。
でも、
中絶が、悲しくて悲しくて仕方ないのは確かで。
「中絶なんて、したくないよ」
ただ、Kさんの前でそう言ってはいけないような気がして、言えなかった。
その日、あたしははじめてKさんにあかちゃんの写真を見せた。
「ここに居るのが、あかちゃんなんだね」
それ以外の言葉はなかった。
ただ、Kさんはとても長い時間、写真を見つめてた。
帰り際。
Kさんはあたしにキスをしようとした。
あたしは、顔をそむけ、いやいやをして拒んだ。
やはり求めてられるのは、そういう行為なんだろうかと思えて、
一瞬、ひどく悲しくなった。
「もう、不安なことはない?」
Kさんがきいた。
不安ばっかりだよ。
あたしは思った。
あかちゃんのことも、手術のことも、Kさんの気持ちも。
これからのこと、全部全部、こわいし不安だよ。
「大丈夫・・・・・・」
言いたい言葉を全部飲み込んだ。
代わりに、ぎゅうと抱きついた。
「愛しい」という気持ち
2007年1月30日 恋愛 コメント (3)
Kさんと初めて出会ったのは、
去年の春だ。
春。
あたしは仕事を辞め、
派遣社員になった。
派遣社員として、
初めて派遣された会社の社員のひとり、
それがKさんだった。
はじめ、Kさんとは席が離れていたし、
仕事のかかわりもほとんどなかった。
だから、あたしは彼の名前すら覚えていなかった。
名前を覚えたのは、初めて食事に誘われたあとだ。
派遣されて2週間くらい経ったころだった。
たぶん、まともに言葉を交わしたのも、その時が初めてだったと思う。
当時、あたしには彼氏がいたし、
16歳も年の離れたひとを『恋愛対象』として意識していなかった。
だから、ついて行かなかったし、
その後も、とくに喋ったりすることもなく、働いてた。
ただ、恋愛感情とはまったく違うけれど、
「この人は、どういう人なんだろう」
そう思うようになった。
もともと派手な業界だったから、
誘ってきたのはKさんだけじゃなかったけれど、
今思えば、少しでも気にしたのは、Kさんくらいだったと思う。
理由は思いつかない。
そのあと、また誘われた。
食事にいくのが嫌だというわけではなかったけれど、
あたしはいつも冗談として笑って流してきた。
食事に行ったのは、彼氏と別れたすぐあとだ。
雨の日の朝、珍しくKさんと会社の前で会った。
少し前にいたKさんは、歩みを遅め、あたしの隣にきた。
「食事に行くのは、難しそう?」
あたしは、咄嗟に「そんなことないですけど・・・・・・」と答えていた。
食事に行った日のことは、今でもよく覚えている。
お酒をたくさん飲んで、したたかに酔ってはいたけれど、
言葉のひとつひとつや、場面の一片一片も、思い出すことができる。
Kさんを受け入れたのは、あたしがかるい女だったからだ。
あのとき、Kさんの携帯がなってた。
「電話、でないくていいの?」
「いいよ。おうちの人だから」
Kさんはそういって、あたしにキスした。
あたしは、たぶん抵抗しなかったと思う。
始めのうち、あたしは恋愛対象として
Kさんのことが好きだったわけじゃないと思う。
あたしよりずっと大人な男性に『エスコート』されるデートが
楽しかっただけだと思う。
Kさんを受け入れるのは、そのデートの代価だった。
でも、いつの間にか、一緒にいるのが心地よくなってた。
抱きしめられれば、それだけで嬉しいと思うようになってた。
冷静な頭で「はまらないように」と思っている一方、
「愛されたい」と思う自分がいた。
だから、あたしは、本当は喜びたかったんだと思う。
赤ちゃんができたことを喜び、Kさんにも喜んでほしかったんだと思う。
お腹のあかちゃんも、あたしのことも、
「愛しい」と思ってほしかったんだと思う。
そして、もしそれができないのであれば、
何の期待も持てないくらいに、厳しく固く拒絶してほしかったんだと思う。
だけど、Kさんの反応は違った。
「嬉しい」なんて、そんな建前みたいな言葉は要らなかった。
産めないのなら、「おろせ」という冷たい言葉だけでよかった。
そうすれば、諦めがついたかもしれないのに。
おなかのあかちゃんを、「愛しい」と思ったりしなかったのに。
期待なんかしなかったのに。
去年の春だ。
春。
あたしは仕事を辞め、
派遣社員になった。
派遣社員として、
初めて派遣された会社の社員のひとり、
それがKさんだった。
はじめ、Kさんとは席が離れていたし、
仕事のかかわりもほとんどなかった。
だから、あたしは彼の名前すら覚えていなかった。
名前を覚えたのは、初めて食事に誘われたあとだ。
派遣されて2週間くらい経ったころだった。
たぶん、まともに言葉を交わしたのも、その時が初めてだったと思う。
当時、あたしには彼氏がいたし、
16歳も年の離れたひとを『恋愛対象』として意識していなかった。
だから、ついて行かなかったし、
その後も、とくに喋ったりすることもなく、働いてた。
ただ、恋愛感情とはまったく違うけれど、
「この人は、どういう人なんだろう」
そう思うようになった。
もともと派手な業界だったから、
誘ってきたのはKさんだけじゃなかったけれど、
今思えば、少しでも気にしたのは、Kさんくらいだったと思う。
理由は思いつかない。
そのあと、また誘われた。
食事にいくのが嫌だというわけではなかったけれど、
あたしはいつも冗談として笑って流してきた。
食事に行ったのは、彼氏と別れたすぐあとだ。
雨の日の朝、珍しくKさんと会社の前で会った。
少し前にいたKさんは、歩みを遅め、あたしの隣にきた。
「食事に行くのは、難しそう?」
あたしは、咄嗟に「そんなことないですけど・・・・・・」と答えていた。
食事に行った日のことは、今でもよく覚えている。
お酒をたくさん飲んで、したたかに酔ってはいたけれど、
言葉のひとつひとつや、場面の一片一片も、思い出すことができる。
Kさんを受け入れたのは、あたしがかるい女だったからだ。
あのとき、Kさんの携帯がなってた。
「電話、でないくていいの?」
「いいよ。おうちの人だから」
Kさんはそういって、あたしにキスした。
あたしは、たぶん抵抗しなかったと思う。
始めのうち、あたしは恋愛対象として
Kさんのことが好きだったわけじゃないと思う。
あたしよりずっと大人な男性に『エスコート』されるデートが
楽しかっただけだと思う。
Kさんを受け入れるのは、そのデートの代価だった。
でも、いつの間にか、一緒にいるのが心地よくなってた。
抱きしめられれば、それだけで嬉しいと思うようになってた。
冷静な頭で「はまらないように」と思っている一方、
「愛されたい」と思う自分がいた。
だから、あたしは、本当は喜びたかったんだと思う。
赤ちゃんができたことを喜び、Kさんにも喜んでほしかったんだと思う。
お腹のあかちゃんも、あたしのことも、
「愛しい」と思ってほしかったんだと思う。
そして、もしそれができないのであれば、
何の期待も持てないくらいに、厳しく固く拒絶してほしかったんだと思う。
だけど、Kさんの反応は違った。
「嬉しい」なんて、そんな建前みたいな言葉は要らなかった。
産めないのなら、「おろせ」という冷たい言葉だけでよかった。
そうすれば、諦めがついたかもしれないのに。
おなかのあかちゃんを、「愛しい」と思ったりしなかったのに。
期待なんかしなかったのに。
土曜日も、Kさんは
時間をつくって会いにきてくれた。
少しは冷静になったつもりだったけど、
やっぱり中絶の話になると、
泣いてしまった。
Kさんは、やっぱり「ごめん」を何度か言った。
「悔しい思いをさせてごめん」
あたしは、悔しいんだろうか・・・・・・。
冷静になれない頭で、ぼんやりと思った。
日曜日の朝、約束の時間にKさんはやってきた。
家族には仕事に行くと言ったのだろう。スーツ姿だった。
中絶する、って決めて行ったのに、
待合室で待ってる間は、判決をまつ囚人みたいな気分だった。
診察室に入ると、先生が紹介状を開いて見ていた。
あかちゃんの写真もあった。
「7週と6日・・・・・・もう8週だね」
先生は、淡々と言った。
いろんな事例を見てきたから、慣れきっている感じだった。
「金曜日にわかって・・・・・・来たのが今日?
遅いな。普通は6週くらいで手術するんだよ。
その日のうちに来てれば、すぐに前処置して、
土曜に手術できたのに」
あたしは何と言っていいかわからず、「はあ」と言うしかなかった。
いくら産めないって分かってても、
そんなこと、相手にも言わずにできるわけないじゃないかと思った。
「手術はいつするつもりなの?」
それは、Kさんと事前に話していた。
「今度の土曜日を考えています」
先生は、それも「遅い」と言った。
「本当なら、今日前処置して、明日手術したほうが良いくらいだよ」
月曜日の手術。
あたしの仕事が休めないわけではなかったけれど、
Kさんは仕事を休んで付き添ってくれるのだろうか。
一瞬、そう考え、そんなことできるはずないと思いなおした。
手術が日帰りだということは、事前にHPを見て知ってた。
一人で行って帰ってくることくらいできるだろうとも思った。
だけど、勝手に日を変えたら、Kさんはどんな反応をするだろう。
心配したのは、自分の身体のことじゃなくて、そのことだった。
「キミ、何か仕事はしてるの?」
「OLを・・・・・・」
「じゃあ、月・火と休むのは難しいってことか」
「・・・・・・」
「分かった、じゃあ、土曜日にしよう。
金曜日に前処置をするけど、来られる?」
「仕事が終わった後なら・・・・・・」
「何時頃?」
「6時過ぎくらい」
「わかった。診療時間外だけど、待ってあげる。
遅れそうなときは、必ず連絡してください」
先生は、ホワイトボードの金曜日の欄に
『18:30 オムニア→ラミ』
と書いた。
当日は、10時に入院、13時には退院できるとのことだった。
そして、当日の注意事項の説明があり、
最後に中絶の同意書を渡された。
簡単な書式の、小さな紙切れだった。
薄い紙の、学校なんかでもらうプリントみたいなコピー片。
こんなのにサインするだけで、
あかちゃんを殺せてしまうのか、と思った。
かかりつけの婦人科で検査してもらっていたこともあり、
診察は思いのほかあっさりと、短時間で終わった。
重々しい空気を期待してたわけではないけれど、
あまりに簡単で淡々とした流れに、
あたしはなにか腑に落ちない気分でいた。
まだ、生まれてもいない1.3cmのあかちゃん。
この子を殺してしまうというのは、
こんなにも簡単なことなのだろうか。
中絶することになったのは、あたしたちの軽率な行動のせいだけど、
たくさん泣いて、そして中絶すると決めた。
でも、何百人も何万人も診てきた先生にとっては、
ただの医療行為なんだろうな。
Kさんだって、本当のところどう思っているのか、あたしには分からない。
もしもKさんが結婚をしていなければ、
「嬉しかった」という言葉も、信じられたかもしれない。
でも、実際はそうじゃない。
あたしは、Kさんの『イチバン』じゃない。
たぶん、お腹の赤ちゃんも。
不安のせいか、あたしはかなり弱気になってて、
ネガティブなことばっかり考えてた。
「かわいそう」
帰りの電車。
あたしは無意識に下腹部に手を触れてた。
Kさんがあたしの手のひらの上に、手を重ねた。
Kさんの手はあったかくて、下腹部をじんわりとあたためてくれた。
この手の下にいるあかちゃんに、
Kさんはどんな思いを馳せているのだろう。
そのことばかりが、気になってた。
時間をつくって会いにきてくれた。
少しは冷静になったつもりだったけど、
やっぱり中絶の話になると、
泣いてしまった。
Kさんは、やっぱり「ごめん」を何度か言った。
「悔しい思いをさせてごめん」
あたしは、悔しいんだろうか・・・・・・。
冷静になれない頭で、ぼんやりと思った。
日曜日の朝、約束の時間にKさんはやってきた。
家族には仕事に行くと言ったのだろう。スーツ姿だった。
中絶する、って決めて行ったのに、
待合室で待ってる間は、判決をまつ囚人みたいな気分だった。
診察室に入ると、先生が紹介状を開いて見ていた。
あかちゃんの写真もあった。
「7週と6日・・・・・・もう8週だね」
先生は、淡々と言った。
いろんな事例を見てきたから、慣れきっている感じだった。
「金曜日にわかって・・・・・・来たのが今日?
遅いな。普通は6週くらいで手術するんだよ。
その日のうちに来てれば、すぐに前処置して、
土曜に手術できたのに」
あたしは何と言っていいかわからず、「はあ」と言うしかなかった。
いくら産めないって分かってても、
そんなこと、相手にも言わずにできるわけないじゃないかと思った。
「手術はいつするつもりなの?」
それは、Kさんと事前に話していた。
「今度の土曜日を考えています」
先生は、それも「遅い」と言った。
「本当なら、今日前処置して、明日手術したほうが良いくらいだよ」
月曜日の手術。
あたしの仕事が休めないわけではなかったけれど、
Kさんは仕事を休んで付き添ってくれるのだろうか。
一瞬、そう考え、そんなことできるはずないと思いなおした。
手術が日帰りだということは、事前にHPを見て知ってた。
一人で行って帰ってくることくらいできるだろうとも思った。
だけど、勝手に日を変えたら、Kさんはどんな反応をするだろう。
心配したのは、自分の身体のことじゃなくて、そのことだった。
「キミ、何か仕事はしてるの?」
「OLを・・・・・・」
「じゃあ、月・火と休むのは難しいってことか」
「・・・・・・」
「分かった、じゃあ、土曜日にしよう。
金曜日に前処置をするけど、来られる?」
「仕事が終わった後なら・・・・・・」
「何時頃?」
「6時過ぎくらい」
「わかった。診療時間外だけど、待ってあげる。
遅れそうなときは、必ず連絡してください」
先生は、ホワイトボードの金曜日の欄に
『18:30 オムニア→ラミ』
と書いた。
当日は、10時に入院、13時には退院できるとのことだった。
そして、当日の注意事項の説明があり、
最後に中絶の同意書を渡された。
簡単な書式の、小さな紙切れだった。
薄い紙の、学校なんかでもらうプリントみたいなコピー片。
こんなのにサインするだけで、
あかちゃんを殺せてしまうのか、と思った。
かかりつけの婦人科で検査してもらっていたこともあり、
診察は思いのほかあっさりと、短時間で終わった。
重々しい空気を期待してたわけではないけれど、
あまりに簡単で淡々とした流れに、
あたしはなにか腑に落ちない気分でいた。
まだ、生まれてもいない1.3cmのあかちゃん。
この子を殺してしまうというのは、
こんなにも簡単なことなのだろうか。
中絶することになったのは、あたしたちの軽率な行動のせいだけど、
たくさん泣いて、そして中絶すると決めた。
でも、何百人も何万人も診てきた先生にとっては、
ただの医療行為なんだろうな。
Kさんだって、本当のところどう思っているのか、あたしには分からない。
もしもKさんが結婚をしていなければ、
「嬉しかった」という言葉も、信じられたかもしれない。
でも、実際はそうじゃない。
あたしは、Kさんの『イチバン』じゃない。
たぶん、お腹の赤ちゃんも。
不安のせいか、あたしはかなり弱気になってて、
ネガティブなことばっかり考えてた。
「かわいそう」
帰りの電車。
あたしは無意識に下腹部に手を触れてた。
Kさんがあたしの手のひらの上に、手を重ねた。
Kさんの手はあったかくて、下腹部をじんわりとあたためてくれた。
この手の下にいるあかちゃんに、
Kさんはどんな思いを馳せているのだろう。
そのことばかりが、気になってた。
泣きつかれて、ただ呆然としてた深夜、
突然電話が鳴った。
Kさんからだった。
「今から行くから。あと5分くらいで着く」
あたしは泣きはらした顔で彼を迎えた。
彼は、着くなりぎゅうとあたしを抱きしめた。
「あかちゃん、できてたんだ」
あたしはただ俯いてた。
「いつ分かったの?」
「昨日。
昨日、妊娠検査薬使って・・・・・・陽性がでて・・・・・・
それで、今日病院へ行ったの」
「昨日、分かったときには教えてくれなかったんだね」
「だって、信じられなかったし、
もしかしたら間違いかもって思ったし。
そうであってほしいっていう気持ちもあったから・・・・・・」
「エコー写真をとってもらって、
お医者さんに『妊娠してる』って言われるまで、
信じられなかったから・・・・・・」
「そう。お医者さんはなんて言ってた?」
「今、1.3cmくらいだって。順調に育ってる、って・・・・・・」
「どうするか聞かれたの?」
「うん・・・・・」
「オムニアは、なんて言ったの?」
「『産めないと思います』って・・・・・・」
「お医者さんは何か言った?」
「ううん。何もつっこまれなかった。
でも、中絶するなら、早く病院に行ったほうが良いって」
テーブルの上に置いた紹介状を、彼はじっと見つめてた。
何を思ってるんだろう、と思った。
面倒なことになったと思っているんだろうか。
直接見聞きしたことではないから、実感が湧かないのだろうか。
あたしの狂言だと思っているのではないだろうか。
不安ばっかりだ。
「そうか」
Kさんはぎゅうと抱きしめてきた。
「ごめん。ひとりで病院に行かせて、嫌な思いさせたね」
また涙がこみ上げてきた。
泣き声をかみ殺しても、涙がぼろぼろこぼれた。
「嫌な思いなんてしてない。
だって、赤ちゃんがほしいなんて思ったことなかったし・・・・・・
Kさん、結婚してるから、産めないっていうのも分かってたし・・・・・・
でも、『中絶』の話をしたとき、すごく、すごく悲しかった・・・・・・・」
話し合いなんて、やっぱりあってないようなもので。
沈黙がほとんど。
Kさんは、「ごめん」をたくさん言った。
人前で泣くのは悔しかったけど、あたしは、たくさん泣いた。
妊娠したと聞いたとき、嬉しかった、と彼は言った。
あたしには、それが建前であるとしか思えなかった。
「本当に申し訳ないけれど、
今すぐ奥さんと離婚して・・・・・・っていうのは、できない」
最終的に、彼はそう言った。
わかりきってたのに、またお腹がズキ、とした。
「・・・・・・わかってます」
「『産む』っていうのは、『結婚する』っていうことだもんね・・・・・・」
「・・・・・・」
「本当にごめん」
抱きしめられて、肩の上にぼろぼろ涙をこぼした。
結婚できないことが悲しいわけじゃない。
産めないっていうのも、本当にわかりきっていたこと。
でも、『中絶』っていう言葉を想像しただけで、
悲しくって涙がとまらなくなってた。
日曜日、二人で病院に行こうと決めた。
突然電話が鳴った。
Kさんからだった。
「今から行くから。あと5分くらいで着く」
あたしは泣きはらした顔で彼を迎えた。
彼は、着くなりぎゅうとあたしを抱きしめた。
「あかちゃん、できてたんだ」
あたしはただ俯いてた。
「いつ分かったの?」
「昨日。
昨日、妊娠検査薬使って・・・・・・陽性がでて・・・・・・
それで、今日病院へ行ったの」
「昨日、分かったときには教えてくれなかったんだね」
「だって、信じられなかったし、
もしかしたら間違いかもって思ったし。
そうであってほしいっていう気持ちもあったから・・・・・・」
「エコー写真をとってもらって、
お医者さんに『妊娠してる』って言われるまで、
信じられなかったから・・・・・・」
「そう。お医者さんはなんて言ってた?」
「今、1.3cmくらいだって。順調に育ってる、って・・・・・・」
「どうするか聞かれたの?」
「うん・・・・・」
「オムニアは、なんて言ったの?」
「『産めないと思います』って・・・・・・」
「お医者さんは何か言った?」
「ううん。何もつっこまれなかった。
でも、中絶するなら、早く病院に行ったほうが良いって」
テーブルの上に置いた紹介状を、彼はじっと見つめてた。
何を思ってるんだろう、と思った。
面倒なことになったと思っているんだろうか。
直接見聞きしたことではないから、実感が湧かないのだろうか。
あたしの狂言だと思っているのではないだろうか。
不安ばっかりだ。
「そうか」
Kさんはぎゅうと抱きしめてきた。
「ごめん。ひとりで病院に行かせて、嫌な思いさせたね」
また涙がこみ上げてきた。
泣き声をかみ殺しても、涙がぼろぼろこぼれた。
「嫌な思いなんてしてない。
だって、赤ちゃんがほしいなんて思ったことなかったし・・・・・・
Kさん、結婚してるから、産めないっていうのも分かってたし・・・・・・
でも、『中絶』の話をしたとき、すごく、すごく悲しかった・・・・・・・」
話し合いなんて、やっぱりあってないようなもので。
沈黙がほとんど。
Kさんは、「ごめん」をたくさん言った。
人前で泣くのは悔しかったけど、あたしは、たくさん泣いた。
妊娠したと聞いたとき、嬉しかった、と彼は言った。
あたしには、それが建前であるとしか思えなかった。
「本当に申し訳ないけれど、
今すぐ奥さんと離婚して・・・・・・っていうのは、できない」
最終的に、彼はそう言った。
わかりきってたのに、またお腹がズキ、とした。
「・・・・・・わかってます」
「『産む』っていうのは、『結婚する』っていうことだもんね・・・・・・」
「・・・・・・」
「本当にごめん」
抱きしめられて、肩の上にぼろぼろ涙をこぼした。
結婚できないことが悲しいわけじゃない。
産めないっていうのも、本当にわかりきっていたこと。
でも、『中絶』っていう言葉を想像しただけで、
悲しくって涙がとまらなくなってた。
日曜日、二人で病院に行こうと決めた。
帰りの駅で、彼に電話をした。
2度かけたがつながらず、
あきらめて帰った。
乗り換え駅まできたところで、
彼から連絡があった。
あたしは努めて普段とかわらない声で応じた。
「ごめんなさい、今電車なんです」
「あとどのくらいで家につく?」
「10分とか、そのくらい」
「じゃあ、15分後くらいにかけなおすね」
電車の中で、あたしはどう話をするか、ずっと考えていた。
いちばんこわかったのは、彼の反応だった。
迷惑そうにするのだろうか。
もしかして怒りだすのではなかろうか。
このまま連絡が途絶えるんじゃないか。
『喜んでくれる』という考えはまったく浮かばなかった。
あいてにとって、あたしは『浮気相手』だから。
面倒事は望んでないに違いないと思った。
普段あまり考えないマイナスなことばかりが浮かんで、
心にたまっていった。
奥さまのいる人なんだっていうことが、
改めてあたまのなかでぐるぐる回ってた。
「もしもし」
「もしもし。もう家?」
「うん。Kさんは?」
「俺も、家の近くの駅に着いたところだよ」
「そう」
「具合はどう? 少しはまし?」
あたしの体調不良のことを言っているらしい。
いま、きりだそうと思った。
「ん・・・・・・今日、病院に行ってきたんです」
一瞬、間があった。
おそらく、ぴんときたのだろう。
「内科?」
「・・・婦人科です」
「そっか。行くって言ってたもんね。どうだったの?」
沈黙。
「もしもし?」
「・・・あかちゃんができてました」
間があった。
「そっか」
声色が、ちょっと変わってた。
こわばっているように聞こえた。
胸と、下腹部がずきずきした。
「お医者さんはなんて言ってた?」
「7週と6日、だって」
「そっか。じゃあ、気持ち悪いのも、それが原因だったのかな」
「たぶん・・・」
「そう。俺もそうじゃないかと思ってた」
あたしは黙った。
胸のずきずきがとまらなかった。
病院でどうするかを聞かれたときとは比較にならないくらい、
のどが詰まり、声が震えた。
「あたしは、どうすればいいですか?」
「え?」
「どうすればいいんですか?」
嗚咽がこみあげてきて、声はとぎれとぎれだった。
「大事なことだからさ、二人で話し合って決めようよ」
「何をはなしあうんですか」
「だから、どうするかを・・・」
「だって」
彼の言葉をさえぎった。
「だって、Kさん、奥様がいらっしゃるじゃないですか」
「・・・・・・」
「産めないじゃん」
涙があふれた。
あふれてあふれてとまらなくなった。
暫く、あたしはしゃべることもできなくて、ただ泣いてた。
電話の向こうの彼に聞こえないよう、嗚咽をかみ殺しながら。
正直言って、あたしは自分がもっと冷静でいられると思ってた。
妊娠検査薬で陽性が出た時も、
お医者様に妊娠を告げられたときも、
動揺こそすれ、無表情で、淡々と話すことができた。
泣き出すことなんてなかった。
泣きそうにだってならなかった。
彼とのあかちゃんがほしい、って思ったことだってなかったし、
できたところで産めないことも、
歓迎されないこともわかりきっていたから、
そんなに取り乱すほどのショックは受けないだろうと思ってた。
だけど、彼に告げたとき、
なにか、張り詰めてたものがぷつんと切れた。
「産めない」
その事実が、すごくすごく悲しかった。
「オムニア、大事なことだからさ、直接会って、
ちゃんと話して決めようよ」
「・・・・・・今日、決められないんですか」
「え?」
「今日、どうするか決めていただけないんですか」
「……わたし、明日にでも病院にいこうと思ってるんです」
「お医者さんに、おろすなら、手術できる病院に、
早く行ったほうが良いって言われたんです。
明日にでも連絡していきなさい、って言われたんです」
「オムニア。ちゃんと話して、決めよう?」
こどもを宥めてるみたいな声だった。
「明日はどうしてもはずせない用事があるから、
日曜に会いに行く」
「日曜?」
また、喉が詰まった。
言いたいことがいっぱいいっぱいあったけど、
悲しすぎて、ショックすぎて言えなかった。
「わかりました・・・・・・」
電話を切った。
嗚咽がいっぱい漏れた。
やっぱり、私は最優先してもらえる存在じゃないんだと、
そう告げられた気がした。
あかちゃんができた時でさえ。
ベッドに突っ伏して大泣きしながら、
明日、一人で病院に行ってしまったほうが良いのだろうか
と考えていた。
話し合いっていうのをしたところで、
『産んでいいよ』って言われることなんてないってわかってたから。
お腹がずきずきした。
あかちゃんも泣いてるんだろうか・・・。
たぶんその時、あたしはお腹の中のあかちゃんを、
はじめて「生きているもの」として意識した。
2度かけたがつながらず、
あきらめて帰った。
乗り換え駅まできたところで、
彼から連絡があった。
あたしは努めて普段とかわらない声で応じた。
「ごめんなさい、今電車なんです」
「あとどのくらいで家につく?」
「10分とか、そのくらい」
「じゃあ、15分後くらいにかけなおすね」
電車の中で、あたしはどう話をするか、ずっと考えていた。
いちばんこわかったのは、彼の反応だった。
迷惑そうにするのだろうか。
もしかして怒りだすのではなかろうか。
このまま連絡が途絶えるんじゃないか。
『喜んでくれる』という考えはまったく浮かばなかった。
あいてにとって、あたしは『浮気相手』だから。
面倒事は望んでないに違いないと思った。
普段あまり考えないマイナスなことばかりが浮かんで、
心にたまっていった。
奥さまのいる人なんだっていうことが、
改めてあたまのなかでぐるぐる回ってた。
「もしもし」
「もしもし。もう家?」
「うん。Kさんは?」
「俺も、家の近くの駅に着いたところだよ」
「そう」
「具合はどう? 少しはまし?」
あたしの体調不良のことを言っているらしい。
いま、きりだそうと思った。
「ん・・・・・・今日、病院に行ってきたんです」
一瞬、間があった。
おそらく、ぴんときたのだろう。
「内科?」
「・・・婦人科です」
「そっか。行くって言ってたもんね。どうだったの?」
沈黙。
「もしもし?」
「・・・あかちゃんができてました」
間があった。
「そっか」
声色が、ちょっと変わってた。
こわばっているように聞こえた。
胸と、下腹部がずきずきした。
「お医者さんはなんて言ってた?」
「7週と6日、だって」
「そっか。じゃあ、気持ち悪いのも、それが原因だったのかな」
「たぶん・・・」
「そう。俺もそうじゃないかと思ってた」
あたしは黙った。
胸のずきずきがとまらなかった。
病院でどうするかを聞かれたときとは比較にならないくらい、
のどが詰まり、声が震えた。
「あたしは、どうすればいいですか?」
「え?」
「どうすればいいんですか?」
嗚咽がこみあげてきて、声はとぎれとぎれだった。
「大事なことだからさ、二人で話し合って決めようよ」
「何をはなしあうんですか」
「だから、どうするかを・・・」
「だって」
彼の言葉をさえぎった。
「だって、Kさん、奥様がいらっしゃるじゃないですか」
「・・・・・・」
「産めないじゃん」
涙があふれた。
あふれてあふれてとまらなくなった。
暫く、あたしはしゃべることもできなくて、ただ泣いてた。
電話の向こうの彼に聞こえないよう、嗚咽をかみ殺しながら。
正直言って、あたしは自分がもっと冷静でいられると思ってた。
妊娠検査薬で陽性が出た時も、
お医者様に妊娠を告げられたときも、
動揺こそすれ、無表情で、淡々と話すことができた。
泣き出すことなんてなかった。
泣きそうにだってならなかった。
彼とのあかちゃんがほしい、って思ったことだってなかったし、
できたところで産めないことも、
歓迎されないこともわかりきっていたから、
そんなに取り乱すほどのショックは受けないだろうと思ってた。
だけど、彼に告げたとき、
なにか、張り詰めてたものがぷつんと切れた。
「産めない」
その事実が、すごくすごく悲しかった。
「オムニア、大事なことだからさ、直接会って、
ちゃんと話して決めようよ」
「・・・・・・今日、決められないんですか」
「え?」
「今日、どうするか決めていただけないんですか」
「……わたし、明日にでも病院にいこうと思ってるんです」
「お医者さんに、おろすなら、手術できる病院に、
早く行ったほうが良いって言われたんです。
明日にでも連絡していきなさい、って言われたんです」
「オムニア。ちゃんと話して、決めよう?」
こどもを宥めてるみたいな声だった。
「明日はどうしてもはずせない用事があるから、
日曜に会いに行く」
「日曜?」
また、喉が詰まった。
言いたいことがいっぱいいっぱいあったけど、
悲しすぎて、ショックすぎて言えなかった。
「わかりました・・・・・・」
電話を切った。
嗚咽がいっぱい漏れた。
やっぱり、私は最優先してもらえる存在じゃないんだと、
そう告げられた気がした。
あかちゃんができた時でさえ。
ベッドに突っ伏して大泣きしながら、
明日、一人で病院に行ってしまったほうが良いのだろうか
と考えていた。
話し合いっていうのをしたところで、
『産んでいいよ』って言われることなんてないってわかってたから。
お腹がずきずきした。
あかちゃんも泣いてるんだろうか・・・。
たぶんその時、あたしはお腹の中のあかちゃんを、
はじめて「生きているもの」として意識した。
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